見出し画像

四聖諦 ⑩

アチャン・チャー

 これは、世間の多くの人々が、世俗諦を理解していないために起こることです。私たちは、世俗諦を理解しなくてはなりません。例えば、今、ここで話を聴いている皆さんは、自分の名前を持っていますよね。この名前というものは、生まれつきのものですか? それとも、生まれた後、付けられたものですか? 生まれた後に、付けられたものですよね。ですから、名前というものは世俗諦です。世俗諦は、私たちが社会生活を送るにあたって、有用なものです。例えば、A、B、C、Dという4人の男性がいるとしましょう。この場合、コミュニケーションや共同作業の便宜を図るため、全員が個別の名前を持っている必要があります。名前を付けておけば、Aさんと話したいときは、「Aさん」と呼べば他の人ではなく、確実に彼が来ます。これが世俗諦の便利なところです。しかし、より深く現象を観察してみれば、そこには本当は誰も存在していないことが分かるでしょう。勝義諦の観点から見れば、そこには地、水、火、風という4つの要素しかありません。私たちの身体は、この4つの要素によって構成されているのです。
 
 それにもかかわらず、「私」という概念に強く執着する(attavādupādāna)ため、私たちは自分の身体が地、水、火、風という4つの要素から出来ているという事実を、受け入れることができません。ですが、現象を明晰に観察すれば、世間で「私」と呼ばれている観念には、実体が無いことが分かるでしょう。私たちの身体の固い部分は地の要素、液体の部分は水の要素、熱を供給する部分は火の要素から出来ています。私たちの身体を分解してみると、そこには地、水、火、風という4つの要素しか存在しません。「私」などというものは、どこを探しても存在しないのです。
 
(続く)

アチャン・チャー『Living Dhamma』より
 
"Living Dhamma", by Venerable Ajahn Chah, translated from the Thai by The Sangha, Wat Pah Nanachat. Access to Insight (BCBS Edition), 30 November 2013, http://www.accesstoinsight.org/lib/thai/chah/living.html .
 

いいなと思ったら応援しよう!

星 飛雄馬
現在、とても困窮しておりますので、サポートしていただけると大変助かります。