にわとり、例のおじさんに怒る
この記事に出てきた、大嫌いなおじさん。
今日おれはそのおじさんに怒りました。
なんで怒ったかというと、
彼とすぐ近くの場所で働くことになって、
そしたら彼が案の定、俺の仕事にヅカヅカと割り込んできて。
俺は「ガマンだ、ガマン。怒るな、にわとり」って自分に言い聞かせてたんだけど、もう、もう、もう、みるみるストレス値が上昇してきてさ🤣
若い女子に、
👧「すいませ~ん、この子、お腹ペコペコなんですけど~」
と言われて、俺のガマンの限界がグッと近づいた。
おじさんが俺の仕事を奪って、俺の現場をちょろちょろちょろちょろしている。
俺はそれに対し「ガマンだガマン…」ってじっと耐えるのに精いっぱいで、ヒヨコにエサを与えるのを忘れちゃったのよ。
ていうか、ヒヨコのすぐ近くにおじさんがいて、近寄れないのよ。
もう、仕事がやりにくくてやりにくくて仕方ない。
おじさんがウロウロして俺に精神的ダメージを与えてこなければ、俺がヒヨコにエサを与えるのを忘れるわけない!
でもおじさんが俺にストレスを与え続けるから、俺はそれに耐えるのにエネルギーを全振りして、本来の自分の仕事ができなかったの。
それでも俺はガマンした。
俺は怒らなかった。
俺はめっちゃえらかった。
しかし俺がミスをして、若いおなごに「お願いします~」って言われたのを見ているのに、またおじさんが、普通に俺の仕事を奪いに来たのね。
自分持ち場を離れて。わざわざ。
それで俺もうダメだって思って🤣
さすがに怒りました🤣
🐔これは俺の仕事だから。
俺の仕事を取らないでくれ。
ジャマなんだよ!
結構強い口調で言いました。
だってずっとずっとガマンしてたんだもん。
しょうがないよ。
そしたらそれをたまたま、社員の人がきいていたみたいで、
俺はその社員に叱られるという🤣
俺は怒鳴ったつもりはない。
けど、弱々しい口調で言ったつもりもない。
でもこういうのは、受け取る側の気持ちだからね。
俺が「怒鳴ってない」と言っても、それを聞いていた人が「怒鳴った」というのであれば、それは甘受するしかない。
社員が言うには「短期の派遣同士で直接注意をするな」と。
「そういうことをするとトラブルになるからやめろ」と。
🐔俺はトラブルを避けようとして全力でこのおじさんを回避しているのに、おじさんがグイグイグイグイ俺の仕事に割り込んでくるからトラブルになってんだろ。俺はめっちゃガマンしたよ。
なんていうことは言ってもしょうがないと思ったから、俺は「わかりました、これからは自重します」と言って、その場をおさめた。
最低限の大人の対応はできた。
えらかったやん、おれ🐔
その社員の顔つきもちょっと無理で、「この人には言っても無駄だ」と思ったのもある。
だいたい顔を見たら、その人のことわかるよね。
話が通じるかどうかとか、いい人か嫌な人か、とか。
その後、同じ現場で働いている派遣会社の人が来て、事情聴取みたいのを受けて、「次やったらクビ」みたいなこと言われた。
きたきた。
これがうわさの派遣切りってやつだな。
派遣会社の人はすごくいい人なんだけど、「言わされた」んだろうね。
立場はきっと弱いから。
それに対して俺は、「わかりました。あと1ヵ月、こういうことのないように注意します」と答えた。
みんなここまで話きいてくれてありがとね。
でも俺が今日みんなに言いたいのは、愚痴じゃないんだ。
こういうことって、だれしも経験があると思う。
働いていれば、生きていれば、人間関係のトラブルって絶対にあるじゃん。
そういうとき、どうするかって話。
きいてほしいの。
俺最近youtubeで見た動画で知ったんだけど、
重要度
って言葉、聞いたことある?
今日会社であったこと。
おじさんとトラブルになったこと。
それに重要度を与えるかどうかを、俺は決めることができるの。
それは俺が決めるの。
俺が決めていいの。
この事実に重要度を与えると、どうなるか。
俺はこの事実を重く受け止めることになる。
そして重く受け止めたからには、この事実を長く引きずることになる。
ああでもないこうでもないと、長時間考える。
明日も明後日もそのあとも。
今日起きたトラブルのことを、引きずりながら生きていく。
重要度を与えると、そんな未来になる。
でも、重要度を与えないという選択肢もある。
迷惑なおじさんにキレただけじゃねえか。
なにが悪いんだよ。
そんなガマンしつづけたらハゲちまうよ。
俺をハゲにするつもりか、ばーか。
なにがクビだよ。
こちとら最初から今年いっぱいのつもりで働いてるんだよ。
時給1500円につられてやってきたんだよ。
「クビだ」って言われても脅しにもならねえよ。
ばか。
↑これは、今日のトラブルに重要度を与えない選択。思考。
「こんなトラブル、どうってことねえよ」っていう思考。
俺はどっちを選んでもいいんだ。
重要度を与えるか、与えないか。
それを決めるのは神様でもないし悪魔でもないし社員でもないしリーダーでもないし迷惑おじさんでもないしトランプ大統領でもないし社長でもないし教祖でもないし組長でも裁判長でもない。
俺なんだよ。
それを決めるのは俺なんだ。
今日の出来事に、
重要度を与えるのか。
与えないのか。
それに関しては、俺が全権を握っている。
わかるかな。
今日トラブルがあった。
それはもう動かない。
終わってしまったことだ。
動かない。
変わらない。
しかしその事実に重要度を与えるか、与えないのか。
それを決めるのは俺だ。俺なんだ。
もっと簡単に言おうか。
この出来事を引きずって生きていくのか。
それとも、これでおしまいにして生きていくのか。
今俺は、そういう分かれ道の前に立っている。
ねえこの記事を読んでいる君。
俺がどっちの道に進むかわかるかい?
ひとつは修羅の道だよね。
つらいつらい道。険しい道。危険な道。
その道を選んでしまえば、俺はとんでもない場所まで連れていかれる。
もういっこの道は、平和でのん気であたたかで楽しげなさんぽ道だよね。
ちょうちょが飛んでて、小鳥がさえずってる。太陽のひかりが差し込んでくる。そんな道。
それを選ぶのは、俺なんだ。
それが重要度を与える、与えないということ。
そういう選択を、無意識のうちにやってしまっていませんか?
つらい道を、けわしい道を、寒い道を、
自分で選んでいませんか?
俺は今日あった出来事に重要度を与えない。
今日起きた出来事は、俺にとって重要ではない。
だから軽く流す。
なかったことにする。
しったこっちゃない。
おれ悪くないもん!!
まあもちろん、これからもおじさんとは関わらんけどね。
今日みたいなことにならないようにはするけど、それだけ。
「それだけ」で、おしまい。
俺は今日のことを引きずらない。
そういう選択をしました。