どうぞ、お気に召す方を
目の前にある
温かくてジューシーで美味しそうな料理と
冷めてパサパサしてて不味そうな料理と。
「お好きな方を召し上がれ」
と言われたらどっち食べる?
素直に美味しそうな方を選べば良いよね。
なのに、
『好きな方なんて、都合の良い事があるわけない』
『美味しそうな方は、あとからお金請求されるかも』
『私にはどうせ冷えてパサパサが似合ってるんだ』
とかグチャグチャ考えて、不味い方を選ぶ人がいたら。
おいおい、なんつー被害妄想・・・・って、あきれません?
でもこれ、「在り方」に置き換えると、
けっこうやっちまってるんだ。
幸せでしかありえない、という在り方と
幸せなんてありえない、という在り方と。
わたしの価値はとてつも無い、という在り方と
わたしの価値はひとつも無い、という在り方と。
「お好きな方、どっちで在っても良いですよ」
と、
神様は言ってる。
被害妄想全開で、わざわざそっちで在る?
自分で選べるから。
まぁ、お気に召す方をどうぞ。