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当たり前すぎてスルーしているけど実は不思議なこと。凄いこと。

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「当たり前」としているものも、視点を変えれば、不思議なことや凄いことってそこらじゅうにある。それを拾って書いてみる。
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2021年2月の記事一覧

どうぞ、お気に召す方を

目の前にある 温かくてジューシーで美味しそうな料理と 冷めてパサパサしてて不味そうな料理と。 「お好きな方を召し上がれ」 と言われたらどっち食べる? 素直に美味しそうな方を選べば良いよね。 なのに、 『好きな方なんて、都合の良い事があるわけない』 『美味しそうな方は、あとからお金請求されるかも』 『私にはどうせ冷えてパサパサが似合ってるんだ』 とかグチャグチャ考えて、不味い方を選ぶ人がいたら。 おいおい、なんつー被害妄想・・・・って、あきれません? でもこれ

なるようになるというのは

なるようになる。 というか、なるようにしかならんのね。 で、なるようにってどうなるのかっていうと、 そうなるしかならないように。 そうなるしかないってことは、 もうほかにどうもなりようがないってことで、 だから、 なったことは最善としか言えんのです。 ありとあらゆることが関連しあって、そうなるから。 調和の上でのなりようだから。 その最善って、特定の個人の都合をとっぱらった 全体としての最善。 でも、全体の最善ってことは、その全体にはあなたも入っているか

えらいちがい

しんどいけど、楽しいこともあるから、続ける のと、 楽しいから、しんどいことがあっても、続ける のとでは、 似ているようでえらい違う。恐ろしく違う。鬼違う。 この文面だけで見ると、そりゃあ楽しいベースを選ぶと思う。 だけど、事実、体験すると体感に惑わされる。 どういうことか。 「しんどいベース」に現れる「楽しい」は、 時としてめちゃめちゃ価値あるように感じるから、 「楽しい」のグレードが自動的に高設定される。 こうなると、この「楽しい」をご褒美に頑張れてしま

それ以上のもの

今、手にしていないものは この先で手にするかもしれないし、 この先も手にしないかもしれない。 確かなのは、今は、まだ、ここに、ない、 というだけ。 この先で手にするのだと、そういうことにするなら、 今、すでに、どこかにある、と 存在を感じればいい。 そして、あとは、最善のタイミングでここに来るだけ、と。 もしそれでも、この先の今で手にすることのないものなら、 全体にとってその方が良かったのだ。 全体には自分も含まれるから、 すなわち、自分にとっても

それこそが御意向

今のままで自分で 今この場所で 起こせる行動が 何かしらある。 そして 何かしら行動を起こせば 今が変わる。 今が変われば 変わった今で 次に起こせる行動が 何かしらある。 今ここでの行動が次の今を生じさせる。 その繰り返しで 今の自分には予測不可能な出来事が いまに今起きて来る。 だから、 今のままの自分で 今この場所で 起こせる行動が 何かしらあるということは それこそが 天の、神の、大いなるものの 御意向。 ん? なんか、