えらいちがい
しんどいけど、楽しいこともあるから、続ける
のと、
楽しいから、しんどいことがあっても、続ける
のとでは、
似ているようでえらい違う。恐ろしく違う。鬼違う。
この文面だけで見ると、そりゃあ楽しいベースを選ぶと思う。
だけど、事実、体験すると体感に惑わされる。
どういうことか。
「しんどいベース」に現れる「楽しい」は、
時としてめちゃめちゃ価値あるように感じるから、
「楽しい」のグレードが自動的に高設定される。
こうなると、この「楽しい」をご褒美に頑張れてしまう。
思考ぐせは、
『しんどいし大変だけど、まぁ楽しいこともあるから』
「楽しいベース」に現れる「しんどい」は、
時としてとてつもなくきつく感じるから、
「しんどい」のグレードが自動的にハード設定される。
こうなると、この「しんどい」でやる気を無くしてしまう。
思考ぐせは、
『概ね楽しいんだけど、あれさえなければ完璧なのにな』
だから、
しんどいベースでずっと頑張っている人もいるし、
楽しいベースでも続かない人もいる。
はい。
わたし、しんどいベースの生き方してた。
そしていつからか、
「楽しい」にご褒美感さえ得られなくなっていった。
そいうすると、「しんどい」しかない。
そりゃ、ダメになっていくわね。
はい。
これから、楽しいベースの生き方します。
「しんどい」を強敵化しないという点において、心して進む。
生き方のベースがちがえば、
生きた先の景色はきっと、
えらいちがいにちがいない。