不登校だった僕のはなし。〜自己紹介〜
初めましてこんにちは
僕は二人の息子(3歳と7歳)の父です。
中学一年生で学校に行かなくなり、引きこもり、生きるのが辛くなりどん底まで落ちてフリースクールに出会い救われました。
そこから人生が好転していきました。
今では苦しい時代も僕の今を作る伏線だったんだなって思うようになり、過去も振り返れるようになりました。
僕は普通の小学生でした。
みんな兄や姉と同じように小中高と行き大学に行くのだと
みんな思っていました。
勉強も中の中くらい、ドッチボールなどでのチーム分けのジャンケンではすぐに選ばれる。
友達もたくさんいたけど、気を使いすぎて疲れていました。
中学の1年生になり、授業中に何度も行きたくなり体が学校を拒否し出して、学校に行けなくなりました。
学校に何度も行こうと思うけど、体が拒み行けませんでした。
家族や周りの期待に応えられない自分が情けなくて、毎日自分を否定する毎日でした。
この時期が不登校時代一番辛い時期でした。
学校に行けなくなり誰より学校に行かないことを許せなかった。
僕自身でした。
親は学校に行かなくてもいいよって、言ってくれたけど
学校に行く未来しか知らない僕には、それを許すことは未来を
描くことが出来なくなり絶望しか、待っていないと思っていたのです。
学校に行けない自分を責めて
追い込んで、苦しめて
でもこんな自分がダメにならなかったのは
たくさんの人が見守っていたからです。
このとてもつもなく辛い時期に母からたくさんの愛情を
受け取りました。
これは僕の人生にとってとてつもない宝物になったんだと思います。
誰からも見守れてないと感じる孤独が一番辛かったです。
不登校時代の一番辛い時期の始まりました。
辛くて辛くて、母にとてつもなく酷いことを言いました。
そして限界になりました。
どん底まで行って僕は変わりました。
本気で変わろうと思ったんです。
そして中学2年生の秋にフリースクールを母が見つけてくれて
通い始めることができました。
同じ学校に行ってない同年代やお兄さんお姉さんがいて
初めて学校に行かなくても生きていけると安心したのを覚えています。
フリースクールに入ると僕は少しずつ変わっていきました。
フリースクールに入り何より嬉しかったのは
母を安心させることが出来たことです。
高校の年齢に近づく頃に父親の存在が大きくなったのです。
父から将来の選択を迫られたのです。
父のための高校を探すことにしました。
通信制高校を選択してすぐに辞めようと思いました。
辞めようと思って入った通信制高校も
想像していたよりも自分の生活に合い通い続けることが出来ました。
通信制高校に通いながら、フリースクールにも行き
フリースクールでアメリカに行くためにアルバイトを始めました。
どんどん僕の人生は上向きに変わっていきました。
そのアメリカで全米フリースクール大会に参加させてもらい
その思い出は今でも大切な人生の宝物になりました。
たくさんの海外や国内での体験で僕はとても自信をつけることが
できました。
18歳になった頃に将来の仕事の選択肢を考えて
自動車の免許を取りました。
そして通信制高校とフリースクールを卒業しました。
その後はアルバイトをしながら自分にあった仕事を探しました。
数年アルバイト生活をした後、自分にあった仕事を見つけ
同じ不登校だった女性と結婚しました。
今では二人の息子に恵まれ
普通のおじさんになったのです。
学校に行かなくなってフリースクールに出会うまではマガジンでまとめています。
フリースクールに通い始めて通信制高校に入学するまでのマガジン
フリースクールと通信制高校を卒業するまでのマガジン
僕のおすすめ不登校関係の本です