「一生懸命やるほどにうまくいかなくなる人が、人生を上手に生きていくための脱力法」を考える
現代社会は、頑張っている人ばっかりだ。
お受験の小中学生、就活する大学生、残業するサラリーマン、ワンオペ育児の女性、ボランティアのお年寄り。
老いも若きも、男も女も、自分や他人にまでがんばれがんばれとエールを飛ばす。
「頑張らない奴はなまけ者だ」「無能で用無しだ」「頑張らないやつに明るい未来はない」「頑張れない奴の将来は自己責任だ」こんな感じで国全体が、ものすごく必死に頑張っている。
彼らは自分のため、あるいは家族のため、または会社の、世の中の将来のために、「今やるしかない。」「今やればきっと報われる、幸せになれる」そう思って頑張っている。
しかし、まじめで勤勉な人は、それに見合う成果を得られているのだろうか。
一生懸命頑張ったぶんだけ、幸せを掴めているのだろうか。
「幸せになれた、頑張ってよかった。」と感じているのだろうか。
僕の仕事は鍼灸師だ。
頑張りすぎて体に無理がかかり、具合が悪くなった人の治療をしている。
人間は頑張ると体に力が入り、戦闘モードに切り替わる。瞬間的に体のセンサーを敏感にして、わずかな音や気配の差を感じ取り、とっさの事態に対応しやすいよう準備する。これは大昔、人間が狩りをしたり、ほかの動物に狙われていたりした時の名残だ。
戦闘モードの体内では、食べ物の消化吸収や体力の回復、リラックスなどという機能は一時ストップされて、後回しにされる。
戦闘とリラックス、両方同時にはできない。
いつも頑張っている人は、いつも力が入りっぱなしの臨戦態勢を続けているため、だんだん体の疲れが抜けなくなって、具合が悪くなってしまう。
「具合が悪くなる」と言っても症状は様々で、定番の肩こり腰痛頭痛から、めまいや耳鳴りといった自律神経失調、生理不順、手足のしびれ、首や顔面がケイレンして動かなくなるなんてこともある。
どの患者さんも一般の病院で診察を受け、薬をもらったけど思うように良くならないから鍼灸院に来られる人がほとんどだ。(たまに医者や病院が嫌いだから行かないという人もいるが、不審な症状の人にはまず病院を受診することを勧める。医師の診断は第一にするべきだ。)
彼らは頑張った成果を得られているのだろうか。体の調子を崩してまで頑張って、病院でも治らないような状態になって、望みが叶ったのだろうか。
多くの患者さんとお話をしてきたけど、こんな状態だけど満足している、幸せだという人はほとんどいなかった。
世間の多くの人がものすごく頑張っているし、体を壊すほど働いたり努力しているのに、その努力が報われず、ぜんぜん幸せになれない人が大勢いる。なぜなのか。
なぜ、「頑張ってもうまくいかない」のか。
それは、力が必要以上に入りすぎているからだ。
ずっと全力で頑張っているから、ずっと力を入れっぱなしにしているから、うまくいかなくなっているのだ。
僕が知る、「人生がうまくいっている人」「うまくいっている状態を継続できている人」は、心身がリラックスしている。
日常生活ではゆったりとしていて怒りも焦りもせずに、時には気が抜けたように見えるけど、「ここぞ」という時にだけ、アクセルを踏んで鋭い力を発揮し、成功を勝ち取る。
「成功して余裕があるから、リラックスできるんだ。」という反論もあるだろう。確かに、貧すれば鈍するとも言う。ある程度の物質的余裕がないと、たいていの人は焦り、イライラする。でも、成功者がみんなリラックスしている訳じゃない。
成功者には、二種類いる。何かを追いかける成功者と、何かに追われている成功者だ。
必要以上に何かに追われ、力みすぎてる成功者は、そのうちパンクしてどこかへ消えていく。
うまくいかない人は、いつもバキバキに気合を入れ、ピリピリしていたり、イライラしていたりする人が多い。力を抜くことができずにずっと全力のまま、息切れして壁に激突するか、部品が壊れて失速するような事態になるまでアクセルをベタ踏みしている。
緩急のコントロールがつけられない、ただ速い球を投げるだけのピッチャーよりも、最高速度はそれほどでもなくても、遅い球と早い球を混ぜて投げられるピッチャーの方が成績は良いそうだ。うまくいかない人は、大事なところで力を入れて、メリハリをつけることが苦手なんじゃないだろうか。
水の中でもがきながら沈んでいくカナヅチの人みたいに、力を入れて頑張るほど、しぶきを多く飛ばし、空回りしたり、周りの人から逆に迷惑がられたり、無駄に苦労ばかり重ねて結果を出せず、あげくの果てに体調を崩してしまう。そんな悲しい頑張り屋さんに心当たりはないだろうか。
不必要に気張りすぎて体調を崩す人は本当に多い。休み方がわからず、必死なあまり心や体がつらいのに、自分のつらさに慣れてしまって気が付いていない人もいる。
忙しく必死に頑張っていても結果が出ない人に必要なのは、もっと頑張ることではなく、力を抜く方法を知ることだ。
力が抜けない人は過集中になっていて、目の前のことしか見えないことも多いが、力が抜けたとたんに視野が広がって、「なんであんなことにこだわって、苦しんでいたんだろう。」と思えることもある。
歯を食いしばって一生懸命やっていた時にはわからなかった、同僚や上司、部下の表情や、家族の気持ちなどが理解できるようになる人もいる。
体を壊したり、死を覚悟するなどの挫折をすることで初めて力が抜け、己を客観的に見つめなおしたというのはよく聞く話だ。でも転ぶ前に気が付くか、せめて転ぶ寸前でもいいから「力が入りすぎているのかな?」と疑問に思うことができれば、自分の人生を、思っているよりもっとうまく、もっと楽しく進めていくことができる。
力が入っていると、体は固く、心は重くなる。力を抜けば、身も心も軽くなる。軽やかな心と体を使えば、人生を浮かび上がらせることができる。
なにをやってもうまくいかない人は、力を抜けばうまくいくようになるのだ。
そんな内容の本を出したいなと思ってエージェントサイトに登録し、出版社からのオファーを受けたが、企画はうまくいかずに頓挫してしまった。
今思えば、ちょっと僕も頑張りすぎて焦ってしまったのかもしれない。
でも「力を抜く」というテーマには強い魅力があるし、可能性を感じる。
出版社に頼らず、自分のnote上で展開してみようかなと思う。
月1くらいの頻度で更新していきます。
読んでみてください。
過去のnoteに「いいね」をくださった方、お試しの記事を購入してくださったかた、あなた方のおかげでこの企画をやる気持ちが湧きました。
感謝します、ありがとう。
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