初めての昇竜拳

「しょーりゅーけん!」
 中学二年生か三年生ぐらいの頃だったと思う。廊下で同級生らがそう叫んで、片手の拳を突き上げながらジャンプしていた。
 当時の僕は、すっかりゲームセンター文化から離れていた。その数年前ぐらいから不良ヤンキー漫画の金字塔『ビーバップハイスクール』や『湘南爆走族』が流行し、僕も一時はそれに乗っかっていたものの、徐々に過激化し、本物の不良へと変わっていく級友らに、正直ちょっと引いてしまっていたのだ。
 カツアゲや万引きをファッションの一部のように行う友人らと距離を置くと、自然と盛り場からは足が遠のく。家庭用ゲーム機やホビーパソコンの普及、進化もあって、治安の悪いゲーセンも廃れていくだろうと思っていた。
 だが、その矢先に「しょーりゅーけん!」である。
 これは世界的に超有名な格闘ゲーム『ストリートファイター2』の登場キャラクターであるリュウのシグニチャームーブ『昇竜拳』のかけ声だが、当時はまだ『スト2』は世に出ていない。
 無印の『ストリートファイター』の話である。
 大型のアップライト筐体に、8方向レバー、圧力センサー内蔵の大きなボタンがふたつというシンプルな見た目に反し、操作はかなり難しい。現在のような複数ボタンによるパンチキックの強弱という概念はなく、ボタンを実際に叩いて、その強さで強弱の判定を行うという画期的かつ面倒くさいシステムだったのだ。必殺技を出すにはレバーでコマンド入力を行い、その後に、ボタンを強打しなくてはならない。そうしなければ『昇竜拳』は出せないのだ。その微妙な難しさが、当時の僕らにとっては新しかった。たぶん。
 そうはいっても、ゲーセンからは足を洗った僕である。しかし『ストリートファイター』には興味があった。どんなものか一度プレイしてみたい。
 そういえば不良な友人以外にも「しょーりゅーけん!」は流行っていた。ちょっとナードな友達も、こぞって昇竜拳コマンドの入力について盛り上がっていた。彼らはどこでプレイしているのだろう。聞いてみると、近所のダイエーのゲームコーナーに筐体があるという。
 行ってみると、非常階段の手前にある、ちょっとした休憩スペースのような場所に、その筐体は置かれていた。メダルゲームやクレーンゲームとともに。僕はさっそく百円玉を投入し、ゲームをスタートした。
 わけもわからずレバーを倒し、ボタンを叩く。叩く叩く叩く。いわゆるレバガチャ操作で、最初の敵は倒せたものの、それは誰でもクリアできる相手だった。
 当然、次のステージではその戦法は通用せず、ゲームオーバー。
 結局「しょーりゅーけん!」を出すことはおろか、思ったように自キャラを動かすこともままならない。ストレスの溜まる初体験だった。
 その体験がよほど気に食わなかったのか、僕はそれ以来『ストリートファイター』に手を出さなくなった。高校受験も控えているのだ、ゲームなんぞにうつつを抜かしている場合ではない。そんな風に思いながら大して勉強などせずになんとか高校へと進学した。
 偏差値的には普通のどうということのない都立高だった。それでも不良になった友達はだいたい別の商業高校や工業高校へと進学していた。
 そうして高校生活にも慣れを感じ、新しい友人関係も順調に構築していた矢先である。
「しょーりゅーけん!」
 体育の授業中に、クラスメイトがそう叫んで飛び上がった。そんな暴挙を体育教師が見逃すはずもない。角刈りにグラサンにチョビ髭という、漫画の世界から抜け出してきたようなヤクザのような見た目の体育教師は、そいつにつかつかと近寄ると、物も言わずに盛大なビンタを喰らわせた。一瞬で凍りつく場の空気。さっきまでにやにやしながら飛び上がっていたクラスメイトは、嘘のように静かになってしまった。
 後で聞いたが、そいつは鼓膜が破れていたという。
 現在は、教師の体罰など社会問題として取り上げられることも多いが、昔はまったく普通の行為だったのだ。なんの問題にもならず、逆にそいつの親が謝る始末だったはず。
 そんなことより「しょーりゅーけん!」である。
 どうやら『ストリートファイター』の続編が、ゲーセンに出ているという。しかも対人対戦が盛り上がっているとか。
 その日の放課後、友人らと駅前のゲーセンにおもむくと、そこは見たこともないほどの盛況ぶりだった。対戦台のまわりには学生服の人集りができ、それに押し出される格好で、入り口の外まで人が溢れていた。当時は自転車の不法駐輪など日常茶飯事。だからゲーセンの周辺は乱雑に並べられた自転車のせいで、通行が困難なほどだった。
 こんなにゲーセンに人が集まっているのは、本当に初めて見た光景だった。結局、その日は並びに並んで一回しかプレイできなかった。
 しかも使用キャラはガイル。コマンド溜め入力の仕方もわからぬまま、通常技を出すだけのプレイスタイル。またしてもレバガチャである。そうして自分が勝ったのか負けたのかもわからぬまま、プレイは短時間で終わった。
 今思えば、対戦ゲームはゲーセンの稼働率を飛躍的に向上したのではないだろうか。
 ともかく、ここでも僕は「しょーりゅーけん!」を出せなかった。
 結局、僕の初昇竜拳は、その後購入したスーパーファミコン版の『ストリートファイター2』におけるものである。
 そしてそれは、すでに高校を卒業して、大学受験に失敗し、浪人生として悶々とした日々を過ごしていた時のことだった。