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私が介護離職となった経緯

私は30代で70代の母を介護するために、仕事を辞めて実家に戻ってきました。

30代で看護師となって働きはじめ、ようやく仕事にも職場にも慣れてきた頃、母の手術が突然決まりました。

そんな私が介護離職になった経緯を記しておこうと思います。


当初は、
・手術に立ち会うために帰省し、
・数日経って母の状態が落ち着いたら職場に戻り、
・退院後に身の回りのお世話をするために数週間ほど仕事を休んで
・母が元気になったら職場復帰する
という予定でした。


そのためには、職場に迷惑はかかってしまうけれど、「介護休業制度」を利用したいと考えました。


私が勤めていたのは小さな個人病院で、その制度を利用した人はこれまでいませんでしたが、とても好きな職場だったので、このまま働き続けたいと思い、事務の方や院長先生に直談判して了承いただきました。

そして看護師の先輩方も、快くシフトを変更してくれて送り出してくださいました。


しかし術後の母の状態を見て早々に、「これは無理だな」と思いました。


母の入院していた病院が、ちょうど面会制限を緩和したタイミングだったので毎日面会に行けるようになっていました。

術後の母はかなり混乱が見られたので、毎日少しでも母に会いに行って声かけをすることが大切だと思い、そのまま仕事はお休みさせてほしいと連絡して、毎日面会に通うことにしました。

「こちらは大丈夫だから、お母さんのそばにいてあげて」と言ってくれた職場の先輩たちには本当に感謝しています。

そのおかげで、食がなかなか進まなかった母に好きなものを毎日持って行くことができました。

お風呂にはほとんど入れないので、温タオルを持って行き、顔や体を拭いて少しでもホッとできる時間を作ってあげることができました。

もし実家と職場が近かったら、そのまま働き続けられたと思います。

面会は14時から17時までだったので、夜勤や休日であれば問題なく行くことができます。

退院して母が落ち着いたら、時短勤務という選択肢もあったかもしれません。

しかし、職場は北海道、実家は九州。

母の状態が不安で、飛行機になんて乗っていられないと思いました。

それに心配で仕事が手につかなくなって医療ミスでも起こしたら、もっと大変なことになってしまいます。


結局手術から約2ヶ月間仕事をお休みすることになり、たとえ介護休業制度を使っても期間内(93日間)に職場復帰は難しいだろうと考え、そのまま退職することになりました。

私としては涙涙の退職でしたし、大好きな北海道を離れるのはとても寂しかったです。

でも、思いのほか悩むことなく決断できました。

というのも、母の手術は27時間にも及んで、最悪の結果が何度も頭をよぎったときに強く思ったことは、「もっと母と一緒にいたい」ということだったからです。

そして看護師になったからこそ、父が亡くなる前にできなかったことを母にしてあげたいとも思いました。

また、これまで何度も転職や引越しを繰り返して、正社員もパートもニートも社会人学生も経験してきて、良くも悪くも仕事のこだわりや、退職や引越しへの抵抗がなかったのも事実です。

「また働けなくなるけど、そういうタイミングなだけだ」と、すんなり受け入れることができました。

働いていないとソワソワしてしまうような性格でもなかったみたいですが、母の医療費が安いのを見るたびに、あまり税金を払えずにすみませんと思います。


実際に介護生活をしてみると、寝不足や通院でバタバタで、「こりゃ仕事なんて無理だわ」と何度も思いました。

「仕事してないから何とかやれてる」というギリギリの状態のときもありました。


でも大変なこともあるけど「お母さんのせいでこんなことに」とは思わないです。

退職も介護も、これまでの進路も含めて、誰に言われたことでもなくすべて自分で決断したことなので後悔はしないです。

むしろ自分の働き方を変えるチャンスだと思って日々模索しているところです。
(看護師として働き始めたばかりのくせにですが・・・)

いずれにせよ、この母との介護生活で経験したことは、今後看護師として働くにも大いに役立つはず!

すぐに、イヤでも働かねばいけないときが来るので、今は母が安心して生活できるような環境を整えることが私の仕事だと思っています。

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