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20代で親の死を経験して感じたこと

父は余命1年の宣告を受けて、その通りに亡くなった。
緩和ケア病院で、母と兄と私の3人で看取ることができた。
私にとって、このときが人生で初めて「人間が死ぬ瞬間を見た日」となった。

「こういうときは、どう反応すべきかわからない」というのが正直な気持ちだった。

もちろん、とても悲しい。さみしい。悔しさもあった。

でも今まで映画やドラマでしか見たことがないような状況に、自分がどう反応するのか、その状況においてもなお、わからなかったのだと思う。
母と兄を見ると、まさにドラマのように父にすがりながら声を出して泣いていたから、「じゃあ私もとりあえず声出して泣いとこうかな」と、少し迷いながら声を出して泣いた。
最期の数週間の父は意識朦朧としてずっと目を閉じていたのに、最期の瞬間は目が開いていて、「あ、お父さんは目を開けて死ぬタイプなんだ」と、少し冷静な自分もいた。

「・・・で、いつまで泣いとく?とりあえず医師と看護師は気使って部屋から出ていったから、もう少し泣いてた方がいいのかな」と迷いながら泣き続けた。

このときの私はバグっていたのだろうか。


そのあとはバタバタと通夜、葬儀の準備になる。
湯灌によって父は、おそらく人生初めてのアロマ湯につかることになった。
誰でも死ぬのは初めてだから、死んで初めてアロマ湯につかることもあるのだろう。
でも父には必要ない気がした。
温泉は好きだったけど、アロマは興味なさそう。
その湯灌では家族が立ち入る隙もなく、ただただ業者のマニュアルに沿って行われてしまった感があった。

葬儀場に着いたときの父は、病院のときとは異なり、まさに尊い顔になっていた。
病と闘いきって、やっと楽になれたその尊い顔を見て、少しずつ私も父の死を受け入れる準備ができた気がする。
それが死化粧によって、なんだろう、ドラえもんでいうところの「きれいなジャイアン」になってしまった。
「ふふふ、お父さんキレイにしてもらってよかったね」なんて少しも思えなかった。
「いや、もっとうちの父は目と口が垂れてました!」なんて言いながら、父の顔が工作のように変えられていくのはとても切なかった。
「私のときは絶対何もしないでね」と、すかさず母が私に耳打ちしたのは今でも忘れない。

この一連の流れにおいて、私には本木雅弘のイメージがすっかり染み付いてしまっていたことを悔やんだ。


時間が経つにつれて父の体温や皮膚の柔らかさの変化を感じた。
亡くなった人間に触れるのも、父だから怖くなかった。
看護師として働き始めて3日目くらいにエンゼルケア(死後処置)に入ることになり、心の準備もできておらず緊張したけど、ご遺体に恐怖感は抱かなくていいと、このとき父に教わった気がした。


誰だって、順番通りにいけば、親の死を経験することになる。
でもその受け止め方は、親の年齢や死因、それまでの関係性によって異なるだろう。

私はとても悲しかった。
胸が押しつぶされそうな、経験したことのない深い悲しみだった。
それまでの人生の悲しみがかすむほどの喪失感だった。
「失恋の悲しみなんて『ヘ』でもないな」と思った。
だって私を盛大に振った元カレはまだ生きている。

大失恋の翌日に一人でピザ(Lサイズ)のデリバリーを頼んでいた私も、さすがにしばらくは食が通らなくなった。
父が死んだのにお腹が減る自分が許せなかったけど、どうやらそれが生きるということらしい。
そのことがあってから、私は看護師としてエンゼルケアに限らず、例えばオムツ交換で便まみれの状況なのに自分のお腹がぐーぐーなっても、「あぁ、生きてるってことだな」と思うようになった。


でも深い悲しみはしばらく続いた。
笑顔はかなり努力しないとつくれなかった。
父の死後2週間くらいで、私が幹事を務める部署の飲み会があった。
飲み会の幹事は、通常業務よりも上司から期待されていたから手は抜けなかった。
当日はなんとか声を張ったけど、自分からうまく声が出ている気がしなかった。
口角を上げるにも顔が引きつっていて、動かすには力が必要だった。
終わったあと上司から「よく頑張ったな」と言われたとき、また悲しみがどっと押し寄せた。
飲み会もきつかったけど、ふと一人になるのも辛かったかもしれない。


確かに親の死は、順番通りにいけば誰もが通る道だ。
でもその悲しみは他人には絶対に理解できないと思った。
友人から「今は辛いけど、きっと時間が解決するから」と励まされたが、そういう言葉は欲しくなかった。
普通の「お悔やみ申し上げます」が一番、私の心に波風立てなかった。
こういうときは頑張って励まそうと思わずに、少し離れて見守ってくれることがありがたいと感じた。



だんだんと日常に戻っていったけれど、父の死を受け入れ、心の傷が癒えるまで数年はかかったと思う。
今では「そういえば、お父さん元気かな」とふと思うことがある。

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