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母はどんなときでも母だなと思った話

母はもともと几帳面で家事をしっかりとこなす働き者で、帰省するたびに「さすがお母さん!」と、何度も言ってしまうくらいのセンスと知恵と頼もしさがありました。

いつも部屋はキレイに整えられていて、お気に入りのものが飾られていました。

おしゃれが大好きで、少しいいものを大切にお手入れして身につけていました。

私の服にシミがついて取れなかったとき、実家に持って行くと「お母さんに任せなさい!」とキレイに漂白してアイロンをかけて仕上げてくれました。


そんな母が病気になって、いろいろなことがわからなくなり、できなくなり、時間感覚もチグハグで過去の記憶もほとんどなくて・・・


私は、パラレルワールドって本当にあったんだなと思いました。


なんで私がお母さんにキッチンのお皿の場所を教えてるんだろう。

なんで私がお母さんに野菜の切り方を教えてるんだろう。

なんで私がお母さんの服を選んで着せてるんだろう。


一番怖かったのは、「あれ、本当のお母さんってどんな人だったっけ・・・」とわからなくなりそうな感覚を抱いたときでした。

30年以上も母は母だったのに、たった数週間でわからなくなってしまうなんて。



夜中の母の意味不明な言動で私が寝不足になって泣き叫んだとき、「ごめんね、でも私はあなたのこと大好きだし、愛してるよ」と、手を握りながら恥ずかしいくらいに愛をたくさん伝えてくれました。

ときどき手じゃなくて私が座っていた椅子の肘置きをなでなでしていて、もうそれさえも愛おしくて、これでは怒るに怒れず、わんわん子どものように泣くしかありませんでした。

やっぱりこんなときでも、母は母なのです。


不思議なことに、夕食後の3分間だけ、「いつもの母」に戻る時がありました。

まさにウルトラタイムでした。

その間にたくさんおしゃべりをしたり、聞きたいことを聞いたりしました。

「意味不明な夜中のあの行動は何なの?」という質問にもはっきりと答えてくれました。

「ただ1人でゆっくりお部屋を見たかっただけ」だそうです。



母はこれまでも病気によって手術をしたり、辛い治療をしたりしてきましたが、今回は失ったものが多すぎました。

趣味、特技、文字、記憶をなくすことが、どれだけ辛いことか。

それでも生きていかなければいけないなんて、病はなんて残酷なんだろうと何度も思いました。

母は手術室に入るとき「じゃあね!」と、笑顔で言って、一度も振り返らずにスタスタと歩いて行ってしまいました。

こんなときにも子どもに心配をかけないようにするなんて、なんて強い母なんだろう。

内心はどんなに怖くて不安だっただろう。

そして手術が終わったとき、母は変わってしまっていたのです。



バンザイしてまるで赤ちゃんのように眠る母は、自分のことを今どれだけ理解しているのだろうか。

毎日涙が止まりませんでした。


「かわいそうなお母さん」そう思わずにはいられませんでした。

でも、いくら母でも人に対して「かわいそう」と思うことは、とても失礼だしおこがましいことだと私は思っています。

だから母の幸せポイントを必死に考えました。

そして出た答えは、「こんなデキる娘がそばにいること」でした。



まるで親子が逆転してしまったとき、一方で、私の言動は母そっくりになりました。

イライラしたときの母の態度、子どものときにいやだなぁと思った母の口調が、そのまま私から母に向かっていました。

それと同時に、部屋を常にピカピカに掃除して気持ちよく過ごせるようにしました。

ベランダのお花の手入れを一生懸命しました。

母が大切にしていた白いブラウスのシミ抜きをして、しっかりアイロンをかけて母に着せました。


今では母から「働きものだね」と言われるようになったけれど、私はまだまだ母には及ばないなと思います。

「でもまぁデキる娘だからね!」と言うと、母が笑ってくれるのがとても嬉しいです。

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