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介護生活に余裕を生み出してくれたのはおむつだった話

私の亡くなった父は「おむつ断固拒否」派でした。

体力が落ちて歩けなくなってもトイレだけは絶対に自分で行くという強い意志を持っていました。

私もそうであってほしかったし、「おむつ」と「お父さん」を結びつけたくない気持ちがありました。

しかし意識が朦朧としていくなかではそれはとても難しいことで、初めて父の失禁を見てしまったとき、そしてもはや父もそれに気付いていないことがわかってしまったときは、やはり大きなショックを受けました。



その後、看護学校で病院実習に行った私は、「大人でもたくさんの人がおむつをしているんだな」と驚くと同時に、「大人のおむつ」が日常の世界となりました。

働くようになってからは先輩看護師や介護士さんから、おむつ交換のやり方だけではなく、おむつのタイプや使い分けのアイディアをたくさん教わりました。

たとえば、日中は下着で不安な夜だけリハビリパンツ(通称リハパン。パンツ型のはくタイプのおむつ)にしたり、日中はリハパンでいいけど夜だけテープ止めのおむつにしたり。

一口におむつと言っても、その人や状況に合わせたさまざまな使い方があることを知りました。

看護師としてみても、患者さんが下着を汚してしまうよりもおむつでいてくれる方が、例えばパジャマやシーツまで汚れずに済むため着替えや洗い物が減って楽になるし、患者さんとしても着替えの手間が省けることで結果的に身体の負担が少なくなることも学びました。

それ以来、「別におむつって悪いことではないんだな」という気持ちになりました。

特にリハパンに関してはスパとかで渡される紙パンツみたいなものと思っても良いのではないかと感じたり。
災害時にも便利だっていうし。
(ただの紙パンツに吸水力はないが)



母の場合は、保育士として働いていたこともあり、昔から私よりもおむつは身近な存在だったようです。

入院中はおむつ生活が長くなりましたが、「今までは私がおむつを替える方だったのに今は逆転よ」とあっけらかんとしていたので、私としてはたくましささえ感じました。


退院してからの母は下着とおむつのグレーゾーンにいて、できるだけ下着で過ごすようにしていましたが失敗することも何度もありました。

特にだんだん状態が悪くなり、歩行が不安定になってトイレをトイレと認識しなくなってしまった時期が大変でした。

トイレしたいと思っても起き上がるだけで時間がかかってしまい、私もかなり焦りながら母を起こしてトイレに連れていきました。

そして我が家のトイレの入り口には約8センチの段差があって、これがもう本当ににっくき段差で、母は乗り越えることができなくなってしまったのです。

私はなんとか母を持ち上げようとすると母はなぜか抵抗して、もはや段差という土俵際で相撲するハメになってしまったのです。

そうこうしているうちにその場で失禁。


もう、家建てるなら絶対バリアフリーにすると誓った。


その後もトイレに入れても便座に座れなくてズボンや床を汚してしまうことがあり、そういうことが重なると私も余裕がなくなっていきました。


それを救ってくれたのはやはりおむつ様。


「リハパンをはいている」というだけで、私のトイレ誘導に明らかな余裕が生まれました。

別に間に合わなくてもリハパンあるからズボンも汚れないし、全て吸収してくれるからあとは捨てるだけでいいのだ〜。


私に余裕ができたおかげで母も素直に落ち着いてトイレに行けるようになり、この親子相撲は無事に千秋楽を迎えることができたのです。


ふと、これが父だったら私はどう対応したのだろうと考える。

ただの使い捨てのパンツだよ、で納得してくれるだろうか。


おむつは使い方次第で介護する側だけでなく、される側にも体と心の余裕を生み出してくれるものです。

だから恥ずかしいことではなくて、必要になったら安心して使っていいんだよ。


と、伝えるのかな…

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