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「あなたへのメッセージは「あ」です。創作大賞」の巻
タイトルに創作大賞といれると、もしかすると読んでくれる人が増えるのではという下心から「創作大賞」を入れてみたので、この記事自体は創作大賞とはほとんど関係がありません。釣りみたいでスイマセン。
さて、その上でこのタイトル、どういう意味かというと、この「あ」というメッセージから何が得られますか?ということです。
は?
って感じですよね。
noteの記事で考えてみると、一見意味のなさそうな記事から何か得られるものがありますか?
ということになります。
まあ、そういったテーマで今日は書いてみようかなと思っているわけです。
さて、ブログ風にまず結論からいうと、それは記事を読む人次第ということになります。
記事を読む人次第
つまり繰り返しますが、記事から何か得られるかどうかは、
記事を読む人次第
ということです。
書く人次第ではない、ということに注意が必要です。
この考え方は、以前別の記事でも書きましたが、どんなにクソつまらない映画でも楽しむことは可能だという考え方に似ています。
この意味でいうと、どんな記事からでも何かを得られるということになります。
で、これは読む人次第なので、逆に
どんな記事でも何も得られない人もいるということになります。
例えば、興味・関心がないということで記事から何も得られないという人もいます。
もしかしたら「おいしいコーヒーの淹れ方」という記事は、コーヒーに興味がない人にとっては得られるものが何もない記事かもしれません。
また「練馬区のおいしいインド料理店」という記事は興味がある人にとっては非常に有益、つまり得られるものが多い記事かもしれません。
しかしこの記事もインド料理に興味がない人にとっては全く得られるものがない記事かもしれませんよね。
まあ、つまりは読む人次第というわけです。
どんなにすばらしい歴史の考察が書いてある記事でも、読む人によっては何の役にも立たないクソ記事認定されることもあり得るわけです。
さて、私の立場として、どんな記事からでも何かを得ることは可能だと思うんですね。
で、その究極形を「あ」としてみたわけです。
「あ」から何が得られますか?
例えば、「あ、そうか」という発想が得られるかもしれません。
これは洒落ではなく柔軟な発想って実はこのようなところから得られることもあるのでは、と思うんですね。
多くの人は、リンゴが落ちるのを見ても何も思いませんが、ある人にとっては大きな発見があったりするわけです。
趣旨が伝わりますか。
でまあ、私としてはせっかく読むなら何かしら得たいと思うわけです。
逆に言えば記事を読んで「何も得られなかった」とは言いたくないんですね。
なぜならそれは読む側である私の問題だからです。
私なら、何も得られないと思うような記事を読んでも「何も得られないということが得られた」と言いたいんですね。
なんだったら、何も書いていなくてもそこから何かを得たい、とも思うわけです。
ここまでくるとちょっと哲学的な感じもしますが、要は読み方によって記事や作品の見え方が変わるってことですね。
さて、この記事からあなたは何か得られましたか?
え? 何も得られなかった? もちろんそれもアリです。何を得るかは読む人次第ですから、それでもいいのです。
※)そういえば最近読んだジョージア大使の本は面白かったなあ。色々得られたものもありました。スキ/フォローありがとうございます。励みになります。