朝井リョウ著「生殖記」を読んで得た結論(安直な感想)
もはや宗教の祖のように崇め奉っている作家さんの新作がでた。タイトルは「生殖記」。「この語り手、何かが違う」というコピーで目を惹きつける特設サイトの内容にいたく興奮したのを覚えている。
「生殖記」を読んで、一番に思ったことは、「羨ましい、私も早くしっくりしたい!!」だ。こんな感想を言うのは憚られるが、誤解や批判を恐れずに素直に自分の気持ちを言うとこの感情なのだ。しかし、私は現在24歳であり、尚成は32歳。彼の生殖本能が「ここまで長かったね。」というように、尚成が物心ついてから二十数年かけて手に入れた"しっくり"をまだ彼の8年早い私がやすやすと手に入れられる訳がないのだ。何せ彼のように思考も忍耐もしていないのに。「ここまで長かったね」は本当に長かったのだと思う、彼が幸せを感じれるようになるまで。(あっ倒置法だ)このセリフからは彼の生殖本能から彼への愛情や慈しみがひしひしと滲み出ていて、なぜか泣けてくる。私は私の力で私のしっくりを探すしかない、たとえどれだけ時間がかかっても。(また倒置法だ!)
そして、もう一つ、私がこの本を読んで得た結論は、経済的自立を強固なものにしようということである。この生殖記を読みながら、私は「最近何に対しても何も感じなくなった」という気持ちをこんなにも言語化できるのは朝井リョウしかいないと思った。私は社会人2年目であり、仕事で嫌なことがあっても「あーまたこのパターンか」と思うくらいには慣れてきた。この本を読んでいた頃は正直「私はロボット、私はロボット」と通勤中に言い聞かせながらなるべく心を無にするように努めて働いていた。すると、本当に何に対しても何とも思わなくなった。1年目はあんなに自分の仕事のできなさや業務上の倫理観で悩んでいたのに。その理由の一つは、経済的な余裕ができたからだと思う。仕事はお金の為にしている。ただそれだけのこと。だからそこでどんなことが起こったとしても、生活できる資金さえ調達できれば問題ない。そう考えていた。だが、その思考では限界がきた。今まで感情を押さえ込んで無で仕事をしてきた分、感情が爆発し、対象への陰性感情が抑えられなくなった。一時は休職についても考えたし、今は転職も検討している。だが、蓄えの少なさによる不安から二の足を踏んでいる。つまり、何が言いたいかというと、人間界においては当たり前のことだが、やはり経済的安定が心の安寧に繋がるということだ。その為に、お金の勉強とやらを始めてみようと思う。私はもう人間界で生きていくしかないので。
「生殖記」を読んだ所感を表面的に掬って述べてきた。生きていて違和感だらけのこの場所に、皮肉たっぷりに淡々と人間の傲慢さや滑稽さを突きつけてくれて、非常に痛快だった。
「生殖記」は客観的な視点からこの人間社会を生き抜く為に必要なエッセンスを教えてくれる人生の指南書となった。これからも、私にとってのしっくりを見つける為にお金を蓄えつつ試行錯誤をしていきたい。