自分にとっての「自由」
自由って、
何の制限もないことだと思ってた。
どこまでも続く広大な海みたいに。
言い換えれば、選択肢が無限にあることだと。
でも、そうじゃない。
自分は何を信じていて、
何を大切にしたいのか、
人生を懸けてやりたいことは何か、
自分の内側をしっかりと見つめて、
まだ小さな光を見つける。
そして、
自分の本質ともいえる、その光に従って、
無数にあるはずの選択肢から、自分でひとつ選ぶこと。
これが、他の誰でもなく自分の人生を自由に生きる、唯一の方法なのかもしれない。
自分の人生を、他人にとられてはいけない。
決断を手放してはいけない。
それが人生の舵だから。
そういえば、昔あんまり好きじゃない担任の先生がいた。進路指導のときのことがすごく印象に残ってる。私は、とある教授のもとで学びたいと考えている、という話をした。先生は「もっと上の大学を目指しなさい、もったいない」って言った。なんでやりたいことがあって行きたいところがあるのに、それを認めてくれないんだろう?って怒りを覚えた。今思い出しても、その時の違和感は間違ってなかったし、その教授のもとで学べてよかったと思ってる。
私は長年この違和感の正体を言葉にできず、しこりが残ったままだった。
だけど、今なら少し言葉にできる気がする。
なぜ勉強するのかという難解な問いに自分は答えることができないが、「将来の選択肢を広げておくためだ」という答えにはあまり賛同できない。先生の発言はこの考えと根底でつながっているように思う。できることが増えれば増えるほど、選択肢が広がれば広がるほど、人はかえって本当に大事なことを見失い、自分の手で選択できなくなってしまいがちだと私は思う。自分の人生を自由に生きるために(当時はそんなこと思ってなかったけど)、当時の私は自分の心に従って決断した。先生の発言は、自分が主人公の人生において、横やりを入れてくるモブキャラみたいに思えたのかも、と振り返った今日この頃。
「自由」を考えるにあたって、哲学者サルトルや『エッセンシャル思考』がヒントになった。
サルトルの思想について、もっと深く知りたいな。
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