走っても走っても逃げられない:人生の問題はランニングでは解決しない
ある朝、目覚めると目の前にはランニングシューズ。昨日の自分が置いていった「今日こそ走れ」のメッセージだ。なんだかんだで、自分との約束を破り続けている怠惰な自分への対抗策として、ランニングが選ばれたのだ。しかし、ランニングには魔法のような解決力はない。なぜなら、人生の問題は、マラソンのように走って逃げ切れるものではないからだ。
まず第一に、朝走り出したら突然の腹痛が襲ってきた。まさに人生のようだ。想定外のトラブルがいきなり襲ってくる。トイレはまだかと焦りながら、走るのをやめると「逃げたら負けだぞ」と自分を鼓舞する声が聞こえてくる。でも正直、腹痛との闘いは人生の比喩そのものだ。問題からは逃げられない。結局、公園の隅っこで座り込む。そこには「逃げ場はない」という現実が待ち受けているのだ。
ランニングしていると、まるで自分が問題を解決しているかのように錯覚する瞬間がある。汗をかいて、心臓がバクバク言っていると「おお、頑張ってる!」と自分に言い聞かせたくなる。しかし、現実はどうだろう?仕事の締め切り、溜まった洗濯物、冷蔵庫の中の謎の腐敗臭、そんな問題は一歩も解決されていないのだ。いくらランニングを続けても、ゴールテープの向こうには人生の課題は山積みのまま待ち受けている。
さらに、ランニング中にふと考え始める。「なぜ私は走っているのだろう?」と。健康のため、ストレス解消のため、自分への挑戦のため…いろいろあるが、どれも最終的には「逃避」だ。目の前の問題から一時的に目をそらすための手段として、ランニングは魅力的なのだ。走っている間は、少なくとも問題と向き合わなくていい。しかし、家に帰るとソファに座り、再び現実が迫ってくる。
だから、ランニングはあくまで一時しのぎの手段に過ぎない。人生の問題は、スニーカーを履いて逃げ出した先には待っていない。それどころか、疲れて帰宅した瞬間に、冷蔵庫の前で立ちすくむ。「ランニングでは解決できないんだな…」と自覚する瞬間だ。問題はランニングコースの先にはないが、むしろ自分の背中にくっついている。
そして、最後に一言。どれだけ走っても、ソファとポテチとコーラの誘惑からは逃げられない。ランニングで人生を少しは楽にできるかもしれないが、それは一時的なものだ。結局、問題と真正面から向き合うしかないのだ。だから、走っても走っても逃げられない。それが人生のリアルだ。でも、それでも私は走り続ける。なぜなら、逃げられないとわかっていても、走ることで一瞬だけでも現実から目をそらせるから。これがランナーの悲しい性なのだ。