足が重い日は心の重りを軽くする絶好のチャンス
朝起きて、ランニングシューズを履こうとする。だが、まるで足が鉛でできているかのように動かない。これが「足が重い日」だ。まるで体がソファに生えた根っこを引きずっているような感覚。ソファとポテチ、そしてコーラのトリオが、頭の中で甘いささやきを繰り返す。「今日は休んでいいんだよ。走らなくても、Netflixが君を待っている…」。いや、だめだ。そんな誘惑に負けていては、ポテチはすぐに空っぽ、そして次に空っぽになるのは俺の目標だ。
しかし、今日はただの足の重さだけではない。心もずっしりと重い。仕事でのストレス、周囲との関係、やらなきゃいけない家事の山…心の中にため込んだ重りが、ランニングへの一歩を阻んでいるのだ。でも待てよ。足が重いってことは、心も重い証拠か?だったら、今日はただ足を動かすだけじゃなく、心の中の重りを軽くする絶好のチャンスじゃないか。
ランニングコースに出ると、最初の一歩は確かに重かった。まるで地面に足が吸い込まれるような感覚。だけど、進んでいくうちに不思議なことが起こる。足が重ければ重いほど、その重りを一歩ごとに地面に叩きつけているような感じになるのだ。足はまだ重いけれど、心の中に溜まっていたモヤモヤが、少しずつ霧散していく。考えすぎていた仕事の問題も、なんだか小さく見えてくる。
途中、信号待ちで立ち止まった瞬間、ふと気づく。今日は足が重い日なんじゃなくて、心が重かっただけじゃないかと。足が重いっていうのは、心が「ちょっと休みたい」と言ってるだけで、本当は走れる力が残っている証拠かもしれない。
走りながら、心の重りを一つずつ置いていくイメージをしてみた。ストレスの塊を「ここは左カーブに捨てておこう」。上司の小言も「川沿いに流してしまおう」。そうやって、足が進むたびに心の荷物が軽くなっていく。息もだんだんと整い、心の中もすっきりしてくる。
最終的に家に戻ったときには、心の重りはずいぶん軽くなっていた。そして足の重さも、気づけばどこかへ消えていた。結局、足が重い日というのは、心がサインを送っているだけで、それに気づいて対処すれば、逆に心も足も軽くなるものなのだ。
足が重い日は、心の重りを軽くするための絶好のチャンス。それを逃さず、今日もソファとの戦いに勝った自分に、ちょっとした勝利のポーズを決める。さあ、シャワーを浴びて、ポテチは…いや、今日は控えめにしておこうかな。