トレイルランニングとバロック音楽
トレイルランニングは、山や森の中を駆け抜けるスポーツ。自然の美しさとともに、時にはゴツゴツとした岩道に立ちはだかる苔むした石ころたちが待っている。そんな中、足元の不安定な道に悩まされながら、僕の頭の中ではなぜかバロック音楽が流れ始める。「パッヘルベルのカノン」とともに、トレイルランのリズムが作り出される。気のせいか、心拍数もアンダンテに合わせて整い始めているような気がする。これがまさかのバロック効果なのか?
バロック音楽とトレイルランニング。一見、無縁そうなこの二つだが、実は絶妙にマッチするのだと最近気づいた。バロック音楽には、規則正しいリズムと繊細な変化があり、トレイルの起伏に富んだコースと通じるものがある。特にバッハの「ブランデンブルク協奏曲第3番」を聴きながら走ると、急勾配の登り坂もまるで華麗な音階を駆け上がっているように感じるから不思議だ。
最初は、山の静けさを楽しむべきだと思っていた。せっかくの自然、鳥のさえずりや川のせせらぎを無視して、音楽なんて邪道だろうと。しかし、バッハやヴィヴァルディの軽やかなメロディーが、僕の一歩一歩にぴったり寄り添ってくると、トレイルがまるで舞踏会のフロアに変わったかのように軽やかになるのだ。足取りも軽く、苔で滑りそうな危険な箇所も、まるでバロック時代の貴族がステップを踏むかのように優雅にクリアする(つもり)だ。
そして、トレイルランニング中の苦しい瞬間も、バロック音楽の緻密な構成に励まされる。バッハのフーガのように、一度迷宮に入り込んでも、絶対に出口はあると信じられる。走っているうちに、足の筋肉が悲鳴を上げても、ヴィヴァルディの「四季」の冬が来れば、「ああ、春はすぐそこだ」と信じられるのだ。もちろん、実際には冬の後もずっと登りが続くのが現実なのだが、その気分が重要なのだ。
それにしても、トレイルランニング中にバロック音楽を聴くというのは、実際に山頂でおにぎりを食べる代わりに、山頂で一人オペラを始めるようなものだろうか?どこか場違いな感じはしつつも、それがまた面白い。ラジオ体操軍団が不意に現れて、バッハに合わせて軽やかな動きを披露してきたら、もう最高のハーモニーだ。
トレイルランニングは、ただの運動ではなく、自然と自分との対話だと思っていた。しかし、バロック音楽がその対話に加わると、山道は音楽の楽譜のように見えてくる。足のステップが音符となり、息遣いがフレーズを奏でる。森の中で一人、僕は自然とバロック音楽との即興演奏をしているような気分だ。
次にトレイルに出かけるときは、バッハの平均律クラヴィーア曲集もプレイリストに入れてみよう。道は険しくても、音楽に導かれてどこまでも走れる気がする。