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昭和40年代の東京下町歳時記 8月

子供部屋の窓の外に父が作ったプランターがあり、毎年4月に朝顔の種を蒔いて、水をやるのは私の仕事だった。段々育って行って、夏になり毎朝雨戸を開けて何個花が咲いたか見るのは楽しかった。今思えば日よけにもなって一挙両得。大人になってスペインでも朝顔はよく育てた。毎年新しい品種が出てきて、色んな色の朝顔が出て、確か流行もあったと思う。

夏休みの朝は毎日カードを首からかけて、近くの広場にラジオ体操に行って、ハンコウを押してもらった。最後の日には確か缶ジュースとお菓子をもらった。田舎に帰って欠席した友達がいたけれど、私には稲毛に住む祖母1人。近すぎて田舎に帰ると言う感じではなかったので、電車で遠くに行く友人達が羨ましかった。

谷津遊園や船橋ヘルスセンターにはよく連れて行ってもらったが、小さい時父と旅行に行ったのは大島か新島か、東京の島が一番遠い所だった。あと覚えているのは東京のどこかのプールのあるホテルに家族で何泊かした事。忙しい父に代わって叔母は私をよく連れ出してくれて、従兄弟たちと一緒に高原に行ったり、冬の新潟にと、小学校の低学年でも1人であちこち連れて行ってもらっていた。

隣の釣船に乗って海水浴にも行った。あれは千葉県だと思うが、一番近い浦安の辺りはその後様変わりした。浦安の歴史を調べたら、埋め立ては昭和39年から始まり、46年には漁業権を全面放棄したとある。稲毛の海岸も私が小さい頃に埋め立てられた。高度成長期。

盆踊りは楽しみだった。浴衣を着せてもらって、下駄を履いた。屋台では金魚すくいや、スーパーボールすくい、水ヨーヨーすくいが楽しかった。スーパーボールは一時期大流行して、皆集めていた。

踊りはオバQ音頭、東京音頭、炭坑節等。オバQ音頭はふと思い出して懐かしいので調べてみたら、昭和41年に発売されたアニメソングの音頭第一号、ミリオンセラーだったそうだ。アニメ化されたのは私が4歳の頃で、家には確か30cm位の、頭の3本の毛を引っぱると喋るオバQ人形があった。(笑)

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