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昭和40年代の東京下町歳時記 7月

七夕が近くなると近所の人から笹をもらって、色んな飾りをつけて飾った。短冊には願い事を書く。一体あの頃何を書いたのかな?見てみたい。

夏はよくを取りに行った。声が聞こえたらそーっと木に近づいて、どこに止まっているか探して、網で捕まえるのだが、楽しかった。捕まえては最後に何匹捕ったか皆で数えて放した。アブラゼミ、ミンミン蝉、ヒグラシ、ツクツクボウシがよくいて、声で聴き分けた。

声で聴き分けると言えば、虫売りも来た。鈴虫、 マツムシ、キリギリス等が小さな虫籠に入っていて、その声を聞いて楽しむ。きゅうりやスイカ、梨等を切ってあげた。土手にも沢山の虫がいたのでいろんな声が聞こえた。以前本で読んだが、西洋人は虫の音が聞き分けられないそうだ。日本の繊細な風物詩

小学校の同級生のN君は遊んでいる途中私の家によると母がおいしいおやつを出してくれたという。飲み物も水ではなくて、麦茶カルピスだったそうだ。うちで働いていた人たちは父を含め皆よく汗をかいたので、麦茶はいつも大きなやかんで沸かして、冷やしてあったし、お中元で頂いたカルピスが確かにあった。3-4本の箱詰めで中に一本オレンジやグレープ味が入っているとうれしかった。

うちではかき氷にもカルピスをかけて食べた。当時の私達の日々のお小遣いは少なくて、アイスクリームは特別な機会にしか食べられなかった。代わりに家にはかき氷機があった。これは子供たちが勝手に作って食べて良いので、よく作った。カルピスの他にはあずき、牛乳に砂糖を溶かしたもの。コンデンスミルクがあったら最高。上からかけた。ハウスシャービックは水に溶かして凍らせると、シャーベットみたいになる。これもアルミの製氷機でよく作って食べた。

7月は浅草寺のほおづき市入谷の朝顔市があるので、近所の園芸農家には沢山の鉢植えが準備されていく。
江戸川区では江戸風鈴を作っていたので、これらの鉢植えとセットで売ることもあった。
金魚の養殖も盛んで、金魚売りのおじさんも風鈴を売っていた。風鈴の涼しげな音は夏の風物詩。以前その話をしたら小学校の同級生のO君がプレゼントしてくれて、夏のスペインでもその音を楽しんでいる。

公園には時々紙芝居屋さんが自転車で来て、パタパタと木の紙芝居の枠や引き出しを準備して、子供達はソースせんべい型抜きを買い、一段落すると紙芝居が始まる。話が面白かったと言う記憶はないが、みんな静かに聞いていた。

夕方にはあちこちで打ち水をして、家の軒先に縁台が出され、豚の形の陶器の蚊取り線香立て団扇で涼む人が出てくる。窓にはすだれが掛けられる。夏到来。


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