千の葉の家族、認知症ダイアリー 第2話
第2話 入院中の母のために、ぬり絵を描いたら
82歳の母は7月8日に右の股関節の人工関節置換術をした。しかしその際、骨折してしまった。骨折しなければ、2週間で退院できる筈だったのに、骨がくっつくまで1ヶ月かかり、それまで右足を床につくことはできないという。足を動かさないよう固定され寝たきり状態の母を見た時、思わず涙がこぼれそうになってしまった。
その後医療制度のせいで、骨折から18日後にリハビリ専門の病院に転院するが、たった一晩で脱臼し救急車で元の病院へ運ばれ、8月22日現在も入院中である。
寝たきり状態も長く、足も腕も細くなってしまった母。体も心配だが、認知症の進行がとても心配だ。父と妹と私でスケジュールを調整して、毎日誰かが面会することを続けている。
車椅子に座れるように(看護師さんが右足をつかないように介助して)なると、私達家族は少しだけほっとした。
「お母さん、ナースステーションのとこで車椅子にのって、ぬり絵やってたよ」
90歳の父が珍しく嬉しそうな声で報告してくれた。スマホの電話である。父は昭和9年生まれ、非常に無口であったが、仕事を定年退職してからだんだんと喋るようになった。母の認知症が進行してから、特に今回入院してからは報告や相談があるので、以前より連絡を取り合うようになっている。
そうか、ぬり絵か! と思った。
看護師さん達がぬり絵と色鉛筆を用意してくれたのだ。
入院してから、母の興味のありそうな植物の本などを差し入れても、手に取ろうとしない。テレビも「見ない。いい」と言うし、何もすることがないと眠ってしまうから、心配でしかたがない。
看護師さんからも「何か趣味のものないですか?」と言われていたのだ。
次に私が面会にいくと、母は病室のベッドの上だった。サイドテーブルや机などにさまざまなものが散らばっている。その中に、1枚のぬり絵を見つけた。それは夏らしい朝顔の絵だった。まず最初に感じたのは、色鉛筆の筆圧が弱いということだ。握力が弱っているからしかたがないのだが……。少し寂しく感じる。
だけど、花びらがグラデーションに塗ってあるところなど、とても母らしいと思った。母は若いとき、型染の工房で働いていたことがあるのだ。明らかにその影響だと感じられる色合いだった。色鉛筆なのに、よく塗れているよ。
私がグラデーションを褒めると、母は以前より表情が乏しくなっているけれど、それでも嬉しそうな顔をした。少々得意気にーー
「デイケアでも暇なとき、ぬり絵やるのよ」
と言うではないか。初めて聞いた。母が入院前まで週2で通っていたデイケアは音楽に力を入れているところだった。そうか、音楽以外にも色々と工夫してくれているのだなと思った。
母の認知症の進行を少しでも遅らせたくて、病室の母に少しでもやることをつくりたくて、更に少しでも喜んでもらいたくて、私はぬり絵を描いてみることにした。
どうだろうか? これが初めて私が描いたぬり絵だ。下手で申し訳ないが、これは母のためのぬり絵だ。木登りの上手な母の子供時代を題材にしている。
「この木登りしている女の子はお母さんなんだよ?」
「そおなの?」
母は曲がった指のままで、ぬり絵の紙を持ち、じい~っと見つめる。何秒も何秒もたってからこう言った。
「小説の表紙にしようかしら」
私は嬉しくなって、「そうだよそうだよ」を繰り返し、大げさに喜んで見せる。認知症の母が、認知症になってから、「小説を書く」と言い出した話はまた改めて書きたいと思う。
その後、私はぬり絵を描くことが楽しくなり、昨日4枚目が完成した。何が楽しいって、母が私の絵に色を塗ってくれるからに決まっている。
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