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千の葉の家族、認知症ダイアリー 第1話

第1話 認知症の母は「お父さんがバッグ捨てちゃった」と何度も電話をかけてくる

「お父さんが、あたしのバッグ捨てちゃったのぉ」
 母が泣きそうな声で電話してくる。
「バッグ、全部ないのぉ」
 おかしいな、と思った。
 父は家族のものを勝手に捨てるような人ではない。これは、母の認知症の症状が進んでいるということなのか……
 母の電話は頻繁になった。内容はいつもほぼ同じで……

 母は若い頃、型染の工房で働いていたことがあったそうだ。
 自分でデザインした美しい型染の布をたくさん持っていたので、それを使い、よく手提げバッグや巾着袋を縫っていた。出来上がったバッグや巾着を私や妹や友達にあげるのを喜びにしていた。しかし、今はもう染めることも、ミシンかけもできない。

 お父さんにバッグを捨てられたと電話で訴えてくる母。
 妻の認知症を理解していないのか、あるいは認めたくない父は「捨ててない!」と怒鳴ってしまう。

 当時、私は実家まで車で20~30分のところに住んでいた。コロナ禍だったので、状況をみながら実家を訪ねていた。(玄関で食べ物などを渡すだけで帰ったこともある)

 実家の六畳の押し入れに棚がつくってあり、そこに母の手作りバッグがたくさん入っている筈だった。母の目を盗んで確認してみると、確かに数が減っていた。目ぼしいものはほとんどなくなっているではないか。
 母はもう整理整頓ができなくなりつつあったから、服や物がよく行方不明になった。例えば、鉛筆が歯ブラシ立てにあったりした。
 私はどこかに紛れているのではないかと、必死に探した。だって、私は母の手作りバッグが好きだから……
 比較的小さなバックは、洋服の間や積まれた雑貨類の間から出てきたりもした。

 捨てられたと騒ぐ母を落ち着かせるため、私は次に実家に行くとき、自分が所有していた母の手作りバックを数枚持っていった。お気に入りで、何年間も愛用している品々である。
 それらを、押し入れの棚のバックがあったはずの場所へ積み重ねた。

「お母さんに作ってもらったバッグ、預けておくからね」
 母を押し入れの前へ連れて行き、バッグを見せた。表情の乏しくなった母は曖昧な顔で棚を見つめていた。
 母が喜ぶだろうと予想していた私は少々がっかりした。しかし、バックが増えたのだから、これで母は少しは落ち着いてくれるかもしれないと思った。

 ところが、次に実家に行った時、私はショックを受けることになった。
 預けていた私のバッグが消えてしまったからだ。あちこち探してみたが、とうとう見つからなかった。母に尋ねてみるが、曖昧な表情をするばかりだ。

 妹にそのことをメールすると、自分が持っているバッグを分けるから、と慰めの返信がきた。

 おそらく答えらしき事がわかったのは数ヶ月後だった。
 その頃母の「お父さんに捨てられちゃった」の対象はバックからパンツ(下着の)へ移っていた。

「お父さんが、パンツ捨てちゃった」
 母は何度も何度も電話訴えてくる。
 私が実家に行くと、また同じことを言ってきた。
「ほんとにないの?」
 私は母と一緒に下着の入っている引き出しを開けてみた。中には真新しいパンツが2枚入っていた。
 すると母はおもむろに2枚のパンツを掴むと、「お父さんに捨てられちゃうから」と言って、部屋を出て台所にある市指定のゴミ袋に突っ込んだのである。見つからないように、パンツを下の方へぐいぐいと押して隠す。動作が鈍くなっている母にしては、素早いと言っていいスピードであった。
 私はクラリとめまいがするようだった。母は、父に捨てられてしまうなら、その前に自分が捨ててしまうと言う行為を繰り返していたのだろう。おそらく、大事な型染めのバッグもそうしていたのだ。

 こうして、私は、愛用していた母お手製バッグが永遠に手元に戻らないことを悟ったのであった。

 2021年5月に両親は認知症と診断され薬を飲み始めた。気づけば、もうすぐ3年になる。
 父と母と私と妹。家族に起こったこと、私と妹が手探りでしていることなどを綴っていきたいと思う。





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