【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第19話
第19話 リモート歌会をきいちゃんは見た
皆さん、聞いてください。とうとう、とうとう妻が、秘密結社に入会し、そこの会員となってしまったのです。
「ねえ、だからさ、秘密結社じゃなくって、短歌結社なんだってば」
と妻は言っていましたが、いったいどんな活動をするのかさっぱり見当がつきませんから、やはり「秘密結社」と言ってよかぁ。
「まあ、理系のあっちゃんにはわかんないだろうねぇ。ふふふ」
と妻は笑い、月に1度送られてくる短歌結社誌を手に取り、熱心に読み始めました。盗み見ると、縦書きで細かい文字がびっしりと印刷されています。おそらく結社会員達の短歌(俳句とどう違うんだ?)が大量に載っていると推測されます。
週末になりました。現在1145。いつもなら、昼食には少々早い時間です。しかしーー
「あっちゃーーん、ごーはーんできるよーー」
と妻が呼ぶ声がします。缶車は狭いので、山のやまびこのような声を出さずとも十分聞こえると思うのですが、妻は食事の準備が整うといつもこの調子です。
「きいちゃん、いつもより昼飯の時間がはやかね」
「みかちゃ、カイカイある、いそいでるの」
「そうばい。けど、きいちゃん、かいかいじゃなくて、歌会ばい」
「カカイ?」
「そうばい、歌会ばい」
「カカイばい、カカイばい、カイカイ、カイカイ、カカカカカイ」
きいちゃんの言葉遊びが始まってしまいます。きいちゃんは、私達と一緒にごはんを食べられないので昼食に興味が湧かないようです。だから、言葉遊びを始めてしまうのもしかたがないと言えるでしょう。
私は台所に立っている妻に背を向け、きいちゃんの耳(トキの耳はこのへんでよかかね?)に口を近づけ小声で言いました。
「きいちゃん、あとでちょっとやってほしいことがあるんだが…」
「なあに?」
「あとで説明する。アニメみたいな話ばい」
「あにめ?! いいよ、きいちゃんやるぅ」
きいちゃんは、任務の内容を聞く前からやると言ってくれました。さすが、私にはよくなついています。よかよか。
私は、昼食を食べ終わりました。妻はやっと四分の一ほどを食べたところであり、まだのろのろと食べ続けています。このように、非常に時間差があります。民間の女性は、これほど食べるのが遅いのでしょうか? あるいは、うちの妻が特別に遅いのでしょうか。思い当たるとしたら、妻は弥生人のようなおちょぼ口(※あくまでも筑後川敦のイメージです)をしていますから、そのせいかもしれません。もう一つ考えられるとすれば、私の職場では早飯が基本中の基本であることです。独身のときには何も思いませんでしたが、結婚して初めて自分の早飯を実感しました。
きいちゃんは暇なのか、ずっとテレビを見ているようです。きいちゃんのぬいぐるみの体はテレビの方へ向けて置かれていますから当然でしょう。
さて、開始から20分をかけようやく妻がうどんを食べ終わりました。いやあ、うどん1杯によく20分もかけられるもんだと感心します。
「あっちゃん、悪いけど、私着替えるから。洗い物は歌会が終わってからするからね」
妻はそう言うと、いそいそと隣の部屋へ行き引き戸を閉めます。
私は小声できいちゃんに言いました。
「きいちゃん。君には歌会に潜入してもらいたい」
「なになに?」
「美花ちゃんの歌会が始まったら、俺が戸を10センチくらい開ける」
「あ、きいちゃん、わかったよ。そこからはいるんでしょお」
「そうばい。きいちゃんは頭がよかね」
いひひ。ときいちゃんは得意気に笑います。
「きいちゃんが中に入ったら、俺が戸を閉める」
「ふんふん」
「秘密結社の歌会とはどういうものか。よく観察して、あとで俺に報告してくれ」
「いいよ。きいちゃん、カイカイつくるよ」
「え⁈」
「みかちゃ、ゆびぃまげて、ぶつぶつ、カイカイつくってた」
「えっ、指? かいかいって短歌のことか?」
「ゴー、シチ、ゴー、シチシチ、してたよ」
「ああ、57577か。ということは短歌が長い方、俳句が短い方か?」
皆さん、短歌と俳句の違いわかりますか? 私は昭和の頃、小学校か中学校で習ったかすかな記憶が……。駄目です。思い出せません、ってちょっと待った!
「きいちゃん、もしかして、短歌つくって歌会に参加する気か?」
「だって、そおなんでしょお」
「ち、違うんだ。きいちゃんは、ぬいぐるみのふりをするんだ」
「ぬいぐるみのふり? きいちゃん、ぬいぐるみじゃないからぬいぐるみのふりできるよ」
「そ、そうばい。秘密結社には秘密の任務だ。くれぐれも喋らないように」
「うん!」
きいちゃんは元気に返事をします。だ、大丈夫かなぁ……。
するとその時、閉められた部屋から音声がもれてきました。とうとうリモート歌会が始まったようです。妻の挨拶する声が聞こえてきます。初参加なので、緊張気味のようです。
私はきいちゃんを抱えたまま引き戸の前で身を低くしました。皆さんのなかには、もしかしてその地点まで匍匐前進をしたのだろう、と思う人もいるかもしれません。しかし、期待に応えられず申し訳ないのですが、私は防A省でも、技官ですので匍匐前進の訓練はしたことがありません。
それから私は細心の注意を払い、引き戸を10センチほど開けました。きいちゃんは、すでに、ぬいぐるみのふりをしています。いい子だ。中からリモート歌会の音声が聞こえてきます。私は素早くきいちゃんを滑り込ませ、引き戸を閉めました。築20数年の缶車のそれはすべりが悪いので、ちょっとしたコツがいります。
さあ、きいちゃん、あとは頼んだぞ。俺はアニメの続きでも観るか。
「もうっ、まったくぅ!」
と妻がぷりぷりして、きいちゃんのぬいぐるみの体を私に押し付けてきました。
はっ。し、しまったぁ~。不覚にも私はアニメを観ながら昼寝をしてしまったようです。
「あ、あれ? 美花ちゃん、もう終わったの?」
「10分の休憩なの」と妻の美花。
「キューケイ、キューケイ」ときいちゃん。
妻はトイレに行ったあと、再びリモート歌会の後半に戻っていきました。
「きいちゃん、どうだった?」
「うーんとね。シラベガイイデスネ」
「シラベガイイ?」
「なんかいも、いってたよ」
「シラベガ…。どういう意味だ? まあ、いい。他には?」
「ワレガとワレノどっちがいい」
「ワレガ? ワレノ?」
うーむ、さすがは秘密結社。まるで暗号のようではないか。というのは冗談にしても、理系一筋、一級建築士の私には遠い世界の言語のようにしか聞こえません。
(※後で妻の美花に聞き、「調べがいい」、「吾が」と「吾の」について説明してもらいました)
「おい、きいちゃん、それから?」
「それからねぇ、きいちゃん、おねむになっちゃったのぉ」
「えっ。おねむしたのか?」
えへへ、ときいちゃんはかわいく笑います。そのかわいさに、怒る気も失せました。いやいや……。なんだ、これじゃあまったくリモート歌会の様子がわからないじゃないか。どんなメンバーでどんな内容なのか、それが知りたかったというのに。そんな私の思いも知らずに、きいちゃんは得意気に言います。
「きいちゃんね、かいかいつくったよ」
「え⁈ すごい、きいちゃん、短歌つくったのか?」
「うん! 『みかちゃんの リュックにはいり きいちゃんは カラスのママと あそんだんだよ』」
「……」
私は驚愕しました。短歌の良し悪しは私にはわかりません。それよりも、たった今耳にしたきいちゃんの短歌が、きちんと57577になっているのか頭の中で検証にかかりました。
「57577」ときいちゃん。
「あ、ああ……」と私。
きいちゃん、す、すごい! 人間だとしたら、いったい何歳児なんだ? しかも、ぬいぐるみのくせに記憶力がいいということが驚きでした。と同時にこうも思いました。きいちゃん、美花のリュックに入って外を散歩したのがよっぽど楽しかったんだな、と。(※参照 第16話 卵を守るカラス、N国を守る自E官を襲う)
リモート歌会を終え部屋から出てきた美花に、きいちゃんは自作の短歌を披露しました。美花は大喜びし、きいちゃんが苦しがるほど抱きしめたのです。美花の嬉しそうな笑顔を見て、これでよか、と思う私でありました。
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