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【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第38話

第38話 缶車の近所を散歩してみる

 木曜日は久しぶりの女子会楽しかったです。高校の時の達と喋りまくってきました。
 楽しかったのはいいけれど、缶車に帰ってきたら、トキのきいちゃんが拗ねちゃってて……。大変でした。だから、金曜日に近所のお散歩に連れていきました。トートバッグから顔だけ出して、きいちゃんは(声をひそめて)〝東京〟の町に興味津々でした。
 すっかり味をしめたきいちゃんの希望で、今日、土曜日もお散歩にいくことになりました。夫が休みなので、みんなで行きます。
 せっかく、(声をひそめて)〝東京〟に住んでいるのだから、窓から見えるビル群に行ってみたいのですが、絶対人が多いので、「また今度にしよう」と後回しすることに。
 昼間は暑すぎるので、夕方になってから缶車を出て、歩き始めます。これだけで、なんとなく自由になったような気がします。休みの日だから、夫には仕事を忘れて、のびのび過ごして欲しいと思います。
「みぎー、みぎー、きいちゃん、みぎーいくー」
 昨日は左へ行ったので、今日は違う道へ行きたいのでしょう。私達は右に曲がります。
 場所にもよると思いますが、(声をひそめて)〝東京〟の住宅街は道幅の狭いところが多いですね。広いところもあるかもしれませんが。
 歩いていくと、古い家と新しい家が混じっているのがわかります。夫は建築士なので、建物の細かいところへ目がいくようなのです。
「この家はちゃんとメンテナンスしてる。こうやってちゃんとメンテナンスすれば、長持ちするばい」
 とかーー。
 広いベランダにいかにも後から作ったような、素人の私から見ても「え? もしかして手作り? DIYしちゃったの?」というような小屋を発見すると。
「あれは、違法」
 と溜息をつくのです。
 するとそれを聞いたきいちゃんが、大きな声でまねをして。
「あれはいほー、いほー、いほー」
 なんてやるので、万が一、その家の人に聞こえちゃったらまずいと思って、私はハラハラします。だから、めちゃくちゃ早歩きを始めます。すると、きいちゃんは楽しくなって、キャッキャとかわいらしく喜びます。
 おしゃれなカフェがあったり、気になるパン屋さんがあったり。今日はきいちゃんを連れているので、また今度にします。あ、このことはきいちゃんには内緒です。
 まだ歩き続けます。
 私の左肩に掛けたトートバッグから、ちょこんと顔を出しているきいちゃん。ガラス玉のような目は、外の強い太陽光が射しこみキラキラとしています。こうなると、きいちゃんはぬいぐるみなんかじゃなく、きいちゃんという生き物なんじゃないか、と思ってしまいます。
 中学校がありました。校舎の壁にいくつもXの形をした棒のようなものが張り付いています。
「あの、Xエックスの、飾り? モダンな感じもするけど」
「ああ、あれは耐震補強ばい」 (※色々な形のものがあるようです)
「そうかぁ、耐震かぁ、なるほど。最近、ああいうの色々なところで見るよね」
 ふむふむ。なるほど。散歩しなければ、知ることもなかったな。散歩はいいなぁ。
 まだまだ歩きます。
 こうやって、人様の家を見て、あーでもないこーでもないといいながら散歩して、楽しいのだからなんて安上がりなのでしょう。だけど、ちょっとだけ複雑です。だって、自分達は缶車住まいで、定年後の家がまだどうなるかわからないので……
「あああ! カラスのママァ~」
 突然、きいちゃんが叫びました。少し先の塀の上に大きなカラスが止まっています。
「きいちゃんだよぉ~、カラスのママァ~」
 私達は関西から東京に引っ越してきました。しかし、きいちゃんは距離感がわからないのでしょう。同じカラスがいるわけないのに。
「カラスのママァ~、カラスのママァ~」
 カラスはうるさいと思ったのかはわかりませんが、急に翼を広げ空へと飛んでいきます。
「ああ、いっちゃう、まってまって、カラスのママァ、きいちゃんだよぉ~」
「きいちゃん、あれは違うカラスさんだよ」
「ちがうカラスさん?」
 しょんぼりしちゃう、きいちゃん。新しい友達ができるといいなと思います。
 気を取り直して、私達はまた歩き始めます。
 大通りに出ました。すごい量の車が走っています。さすが、(声をひそめて)〝東京〟ですね。
 あ、ペットショップがあります。「ワンちゃん、ねこちゃん」と大きな看板が出ています。本当は覗きたいけれど……。以前、きいちゃんが怖がったので、やめておきます。
「どうして、犬ちゃんニャンちゃんじゃないんだろ?」
 唐突に夫が言います。
「え、それは…、ん? 犬ちゃんにワンちゃん?」
「それ、両方犬ばい」
「あれれ?」
 きいちゃんがキャッキャと笑います。わかってるの? きいちゃん。
 そのあと、私と夫ときいちゃんは、犬ちゃん、ニャンちゃん、ワンちゃん、猫ちゃん、を繰り返しながら散歩を続けました。


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