【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第15話
第15話 妻の音痴な子守歌
聞いてください、皆さん。筑後川敦です。
いや、今夜は聞かなくていいです、皆さん。と言いますか、耳を澄ますべきではないと思われます。現在の時刻は2230です。
♪ 眠れ~ 眠る~
あっちゃん きいちゃん
うとうとと 羊 いっぱいぃ
お月さまの まぶたぁ~ ♪
なんちゅー歌詞でしょうか……。妻が、私とトキのきいちゃんのためにオリジナル子守歌を歌ってくれているのです。
「♪おつき~さまぁ…まぁぶぅ…ぁ……」
きいちゃんはうとうとしながら子守歌を口真似していましが、それが途切れました。きいちゃんのぬいぐるみの体は枕元に置かれ、ガラス玉のような目は開いたままですが、やっと眠ったのでしょう。
妻はまだ続けます。
♪ 眠れ~ 眠る~
あっちゃん きいちゃん
お魚も ふりむくよぉ
みずうみの 胸にぃ~ ♪
子供がいない妻が子守歌を歌うことはなかったでしょう。
2歳のときに母を亡くした私は、母の顔を覚えていません。だから、子守歌など知りません。
きいちゃんのことはアミゾンのショップで買いましたから、母という存在を知らないでしょう。いや、ぬいぐるみの体をつくった人が母か父になるのでしょうか?
私達2人と1羽は、欠けているのです。柱が1本足りない家とでも言いましょうか。まあ、そんなことは構造上ありえませんが。(美花の影響なのか、最近こんな例えを思いつくようになってしまいました)こんな私達が缶車のちっぽけな部屋で、音痴な子守歌に包まれているという現実。まさかこんな夜があるとは、美花と結婚するより以前、独身の頃には夢にも思いませんでした……
私は眠ったふりをします。そうすると妻は子守歌をやめ、そっと部屋を出て行くのです。今からゆっくり風呂に入り、夜更かししてきっと本を読むか、何か書いたりするのでしょう。
他の家族とは違うでしょうが、これで……よかばい。明日の仕事に支障が出てはいけませんから、私は眠ることにします。
皆さん、また明日。
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