生意気なマメルリハの育ち方~②主張と主体性の獲得
前回からの続きで、我が家のマメルリハ・シャルが賢く生意気に育った過程についてである。選択すること、判断することができるようになって次はどうなったか。
主張
選択し判断の結果は、人間に伝えてこそ意味がある。
「鳥籠から出たい!」
「ひまわりの種ちょうだい!」
「かまって!遊んで!」
「鳥用アスレチックで遊んでいる俺を見てろ!」
「早く洗濯して!(=終わらせて籠外活動させて!)」
「まだ籠には帰らない!」
「もう寝る!」
応用版
「ぱぱ(私の弟。シャルの真の飼い主。)に電話かけて!」
「アリが鳥籠にいるから倒して!」
これらを「ピッ」か「キッ」の音の組み合わせと行動で伝えようというのだから恐れ入る。前回記事の「選択」でも触れたが、シャルが経験を積み重ねて母に伝わると知っていて、場合によっては私にも伝わると理解しているからだ。
シャルが主張する手段は、かつて以下記事でも紹介したが色々である。いつどんな時にどの手段が有効かも考えているようだ。
主体性の獲得
これはある日の籠外活動(放鳥)中のシャルの様子であるが、あることにお気づきいただきたい。
シャルは鳥籠の中で毛繕い中だが、籠の扉は開いている。シャルを籠の外に出している時、我が家は鳥籠の扉を開けておくルールである。
つまり籠外活動中にも関わらず、シャルは「鳥籠で毛繕いをする」を自ら選択して帰ったのだ。何も籠外活動中じゃなくていいのでは?
籠外活動中のシャルは自分で自分のことを全て決めている。どこで何をどうするか選択するのは、シャルの自由である。シャルが持ち得る選択肢のうち、「鳥籠に帰って毛繕いをする」は「鳥用アスレチックで昼寝する」と同様、なにも籠外活動中じゃなくてもいいんじゃない?と人間は思ってしまうが、その実行に移せる選択肢があることが大事なのだ。
シャルは飼い鳥なりに主体性を母に尊重されて暮らしている。間違って外に飛び出すといけない、と風切り羽も切られたことはなく、シャルが安全と認識している室内を自由に飛び回らせている。
マメルリハと同じ育てられ方
書いているうちに思い至ったことがある。シャルが生意気に(賢く)育った過程は、ほぼ人間の私と弟にもあてはまる。
思えば、母が「こうすべき」と選択肢を出さない場面は、私たちの倫理観や社会性に関わるところだけで、その他与えられる範囲ではたいてい選択肢をくれた。
・自動販売機の飲み物はどれを買うか
・マックでセットのおもちゃは何がいいか
・どの服を着たいか
・誕生日にどのおもちゃがほしいか
そんなたわいもない選択を積み重ね、以下のような人生に関わることも選択は完全に私の側にゆだねられてきたし、今もそれは変わらない。
・中学受験するかしないか
(父親がさせたがったことで生じた選択)
・どの学校を受験するか
・進学するか
・大学受験でどこを受けるか
・就職するか
・結婚するか
ああした方が良い、こうした方が良い等も言われた記憶も全くなし。言われたとしても意見程度で、選択肢を狭められてはいなかっただろう。
シャルの主体性を尊重する母に同様に?育てられたせいか、私は動物嫌いで鳥も嫌いだが、シャルが自由に室内を飛び回っていることにも実は異論はない。考え方は人それぞれだろうけど、私もやはり鳥は飛べてこそ生きていると言える気がする。
選ぶことは考えることであり、考えて判断して必要に応じて主張するための訓練なのだ。選ばせることで選択肢を提示した方も相手の考えや好みを把握できる。そして主体性を持った者同士であれば、互いにとって適度な距離感の関係になれる。
こうして母に一日中面倒を見させて、洗濯物を取り込んだり、食事の前に鳥籠に帰らされる前に自分で鳥籠に帰ると言い出す賢いシャルになった。ところが、マメルリハの割に賢いシャルに対し、同じように育てられたにも関わらず、人間の割に私が愚かなため、稲生家におけるヒエラルキーはシャル>私となった。
・・・・・・・・・・・・やっぱり生意気。