小説を読んでいたらマメルリハを思い出した(読書感想文)
昨年拙文をお読みくださっている方からうかがった小説を読み終えた。19世紀末のトルコを舞台にした日本人留学生の物語だ。
物語の最初の章は「鸚鵡」という題名で始まる。主人公の留学生・村田の下宿先で働くムハンマドが鸚鵡を拾ってくる。この鸚鵡は人間の言葉をいくつか話すことができた。
この鸚鵡が話す内容から、人間嫌いの学者にもともと飼われていたのではないという話だったが、その後鸚鵡は主人公も知らないラテン語の一文まで話しだす。
そして話せる言葉のうちいくつかのレパートリーからその場で絶妙な一言をしゃべることがあった。例えばムハンマドが果物を取りに行こうとしているところを引用する。
何だかどこかのマメルリハを思い出すなあ。
ねえ?シャル。
十一章目には鸚鵡が新たに言葉を覚える。
本当にその通りだ。我が家のマメルリハ・シャルはインコ科だが、もう少し広い分類ではオウムの仲間である。シャルを見ている限り、オウムやインコは決して侮れない生き物だ。
この鸚鵡が新たに覚えた言葉を絶妙なタイミングで使ったことにより、村田が感激したことで色々な場面でこれまた使うようになった。具体的なエピソードはぜひ本書で。この場面でもまた何か思い出してしまったなあ。
この鸚鵡は主人公ではなくても、物語の持つ「味わい」に深く関わっている。もっと具体的な内容に触れすぎず、私の語彙力ではこれ以上適切な言葉が見つからない。
だからこそ物語全体を通して最後に鸚鵡が喋るシーンで泣いた。電車に乗ってたけど泣いた。そこでそれ言う??と泣いた。マスクと眼鏡でごまかせていることを祈る。
マメルリハについて書いているので、鸚鵡の話しかしなかったが、私にとって読後感の良い小説だった。かつて身内がトルコ旅行に行って買ってきてくれたお茶を飲みながらトルコのドラマや映画を観たり、趣味程度にトルコ語のテキストを日頃眺めたりしているので、物語の内容と描写される舞台もあいまって良い読書になった。
教えてくださった方にこの場を借りてお礼申し上げます。