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お股ニキ氏「セイバーメトリクスの落とし穴」読後感

前書き

「セイバーメトリクスの落とし穴 マネー・ボールを超える野球論」は、Twitterをやっている野球関係者ではもはや知らぬ人はいないであろうお股ニキ氏(@omatacom)の処女作にして出世作である。

光文社新書といえば、「知は、現場にある。」という触れ込み通りに、ジャンル不問で各界の有識者たちのナマの言説を次々と新書にしたためるというスタンスを貫く、灰色と灰白色の表紙が目印の有名新書レーベルである。今回はTwitterの古参野球評論家として名高かったお股ニキ氏に白羽の矢が立った形だ。


この「セイバーメトリクスの落とし穴」、発刊早々Amazon.co.jpの書籍カテゴリーのベストセラーランキング上位に食い込むかと思えば、新聞の下面広告にでかでかと広告が打たれたり、週刊ポストや週間新潮、週刊文春といった日本を代表する大衆週刊誌に相次いで広告が掲載されたり、全国各地の書店やAmazon.co.jpで在庫切れ・入手困難の状態がしばらく続いたりするなど、野球界から出た書籍としてはまさに空前絶後の大反響を呼び起こしている。

面白いことに、この書籍は、新進気鋭の気風に富んだビジネス界・クリエイター業界・IT業界でも話題を呼んでいる。「ただの野球本にあらず」「これはビジネスにも通じる」「今の日本社会の問題点を克明に暴き出している」といった驚嘆・賞賛の評が続々と寄せられているのは周知の通りだろう。

おそらく、光文社新書編集部も「まさか、野球の本がここまで重版出来するとは…!?」と腰を抜かしつつ喜んだに違いない。というのも、通常であれば野球の本は野球界の人間しか読まないというのが通例で、しかも野球界自体がそもそも活字を苦手とする人間で満ち満ちているからである。このような事情も考え合わせると、まさに異例の売れ行きであると言える。


「お股本を持って球場へ行こう!」「#お股本 で呟こう!」をはじめとした、光文社新書編集部による、Twitterという情報拡散特化型メディアの特性をフル活用した巧みなマーケティング戦略にも舌を巻くが、もちろん書籍自体の内容の秀逸さにも唸らざるをえない。

というより、野球をやっている・やっていた・関わっている・よく観ている人間ならば誰しもが頷くであろう「そうそう!」というツボを上手く押さえに押さえているからこそのこの売れ行きであると言える。いち野球の書籍がこれほどの快調な売れ行きを示しているのは、決して偶然でもないし、ラッキーパンチでもないし、空想の神輿に担がれているわけでもない。空虚な内容の書籍をマーケティングしたところで猫に小判、豚に真珠なのだから。


この書籍の優れた点を挙げようとすれば枚挙に暇がない(個人的には、野球の技術を語った書籍としては野球界史上屈指の出来だと思う)が、特に白眉の出来なのは、やはり氏の専門とする「ピッチング論」だ。

もともとお股ニキ氏と親交のあった大リーグ・カブスのダルビッシュ有投手はもちろんのこと、今では福岡ソフトバンクホークスの千賀投手、読売ジャイアンツの戸根投手、楽天イーグルスの森原投手などプロ野球の好投手たちを中心に「セイバーメトリクスの落とし穴、読んでます!」という選手はますます増加の一途を辿っている。

氏が重視する「スラット」「スラット・カーブ理論」は今やMLBの多くの投手によって基本的投球スタイルとして採用されており、それにやや遅れるようにしてNPBでも同様の戦略を採用する投手が増えつつある。氏の言うところの「正解のコモディティ化」がどんどん押し進められている形だ。


総評すれば、この「セイバーメトリクスの落とし穴」は、高いレベルを目指す投手・選手・指導者なら一冊は手元に置いておくべき怪著である、といえる。まさに「現代野球のバイブル」と呼ぶにふさわしい名著…であると同時に、この書籍を読んでおかないことには暗中模索で一からピッチングスタイルや戦術論を構築する必要に迫られるのであるから、ある意味では「新しい野球技術の教科書」であるとも言えるだろう。


元来面倒臭がり屋であるこの私が書評を書くくらいだから信頼してもらってよい。内容の素晴らしさは私が保証する。

前置きが長くなったので、書籍の内容を軽く紹介しつつ、私の意見や感想もおいおい書き連ねていくことにする。


目次紹介

この本の目次は次のようになっている。野球というスポーツのありとあらゆる「語りどころ」を押さえた構成であることがよくわかる。

1章 野球を再定義する
「最適バランス」を探るすごろく/田中角栄に学ぶ相対思考/高速化する現代野球/正解のコモディティ化/
「柔よく剛を制す」の思い込み/イチローと上原の「ありえない」技術/才能へ回帰する残酷な世界

第2章 ピッチング論 前編(投球術編)
最も「野球的」なプレー/「パーフェクトではなくグッドを目指せ」/藤浪と薮田に見る制球の最低ライン/
野村、吉見、三浦……技巧派投手の罠/「8割の力」がプロで活躍する鍵/過度なクイックの弊害/メジャーのストライクゾーンは狭い

第3章 ピッチング論 後編(変化球編)
ボールはどのように変化しているのか/軌道を決定する3要素/縫い目を使う特殊な変化/ストレートの「ノビ」を科学する/
ありふれたジャイロボール/深すぎるカッター/構造的に打てない落ちる球/大谷と田中のスプリットが「魔球」であるわけ/
万能変化球「スラッター」/あらゆる弱点を克服?/スラッターの欠点/88マイルの最適バランス/スラット・カーブ理論/
カーショウと星野伸之/スラット・シュート理論/「必要経費」のツーシーム/変化球論がもめるわけ

第4章 バッティング論
フライボール革命とバレルゾーン/投手は大型化、野手は小型化/柳田や丸の必然的な弱点/ダウンスイング信仰の闇/
日本で「右の大砲」が育ちにくい理由/連続ティー練習の問題点/「動くボール」は前で打て/「フォーム」ではなく「トップ」が全て

第5章 キャッチャー論
キャッチャーの5ツール/フレーミングという技術/数字でわかるフレーミングの重要性/帰納法的アプローチ/「古田型」と「里崎型」/
配球の影響は証明できるか/「ビジネス的中間球」の必要性/玉砕戦法「インコース特攻」/落合、松井、大谷に見る強打者への近道/
クロスファイアに依存する日本の左投手/野村克也の大いなる功罪/「秀才」里崎智也は意外と保守的

第6章 監督・采配論
大阪桐蔭が体現した野球の本質/良い監督の条件/プレイングマネージャーという愚行/監督はシェフであり主婦である/采配が狂っていく理由/
増し続けるコーチの重要性/打順における不毛な「格」/「2番最強打者論」の本質/「ジグザグ打線」の真の意味/日本人の異常な送りバント信仰/
小技の野球は弱者の野球/ビッグボールとマネーボールが勝てない理由/「トータルベースボール」の実践/真の「守護神」はストッパー/
レバレッジで考える継投ルール/先発投手のリリーフ化/オープナー、ブルペンデー、規定投球回/ポスト分業化時代のユーティリティ/
180度異なる短期決戦/ピッチャーズパークとバッターズパーク/球場のデザインが試合に与える影響

第7章 球団経営・補強論
ソフトバンクモデルと日本ハムモデル/アイビーリーグ人材の参入/アメスポは社会主義なのか/戦力均衡策が「タンキング」を生む逆説/
タイミングが命の「コンテンダー」/「目利き」が基本の日本球界/成功体験の幻影/「球界の盟主」争奪戦/セイバーメトリクスの落とし穴/
バレンティンのWARと本当の価値/「三振以外は全て運」なのか/ピタゴラス勝率に表れるレベルの差

第8章 野球文化論
「一発屋」と「作業ゲー」/再現性により失われるドラマ性/伝説的名将、栗山英樹/カーショウという名の怪物/スラット・カーブの極み/
永遠のアイドル、ミゲル・カブレラ/オールラウンダーの時代/「見えすぎる時代」の功罪/意外と大きい「パワプロ」の影響/蔓延する勝利至上主義/
「合成の誤謬」で負け続ける日本/野球は輪廻を繰り返す/開幕オーダーは所信表明演説/世界の野球を見る意義/野球にも「感想戦」を


大まかな著者のスタンスの紹介…「絶妙なバランス感覚」が光る

著者のスタンスを表すにふさわしいキーワードとしては、

「大局観」「データと感性の融合」「バランス感覚」「最適化」

この辺りだろうか。


利益にこだわり過ぎて視野狭窄に陥ることなく、かといって大づかみ・大味・適当でありすぎることもない適度なスケールの大局観。

数値・数式によって定量的に把握できる客観的なデータに頼りすぎるのでもなく、現場でプレーする選手や指導者たちの感覚・感性ばかり重視するわけでもなく、データをうまく用いつつ感性も同時に考え合わせて、両者を最適な比率で融合させて最適解を導き出す…という適度な力加減。

「極端に走る」ことなく、かといって「極端を嫌いすぎる」こともなく、基本的には中道中庸を選択し、場面に応じて極端な策も講ずる、という絶妙なバランス感覚。

野球という競技が「野球の規則に従って、物理空間のなかで物理法則のもとで行われて、だいたい似たような身体の構造を持つ人間によって行われる」という厳然たる事実を踏まえた上で、あらゆる可能性と選択肢を熟慮して最適解を導き出す、というスタンス。


「大局観」「データと感性の融合」「バランス感覚」「最適化」

…どれをとってもこれまでの日本球界に欠けていたものばかりだ。これらの概念は、この「セイバーメトリクスの落とし穴」という書籍によってはじめて日本球界に紹介された、と言ってもいいと思う。

なお、これらの言葉の対義語は「短期的視野」「感性・感覚論偏重」「ゼロヒャク思考」「呪術的思考による思考停止」とでも表現すればいいだろうか。これに関しては心当たりがある人も多いはずである。

一度負ければ終わりのトーナメントという短期決戦に特化した狭い視野、感性や感覚論に寄り過ぎて理屈をないがしろにする、何をするにもすぐ極端に走る、どうすれば良いのかを最後まで粘り強く考えることをせずに何かにすがろうとする…

私個人も高校野球の現場の事情などにはある程度通じているが、特にアマチュア野球の現場では未だにそういった風潮が根強いようで、そういう話を聞くたびに暗澹たる気持ちにさせられる。


今後の展開を予想:野手の小型化と投手の大型化…再び日本人野手が活躍する日は来るのか?

お股ニキ氏による未来予測として、「野手の小型化、投手の大型化が進んでいくだろう」という展望が紹介されている(新書版p.134~を参照)。本文から抜粋しよう。

小さな選手は大きな選手ほどの大飛球を打つことはできないが、ホームランを打つための最低ラインの体重さえ超えれば、手足を正確に操る能力は高いから再現性の面で優位ともなる。身長が低い人は高い人に比べて反応の速さや身体を操る精度が優れているから、最大出力こそ劣るものの、より素早く正確にスイングできるのだ。…(中略)…一方で投手は大型で球速が出せないと勝負のスタートラインに立てなくなっているため、投手は大型化、センターラインの野手は小型化の傾向が強まっていくのではないだろうか。

「小さな選手」の例としては、MLBだとムーキー・ベッツ選手クリス・デービス選手(アスレチックスの方)、フランシスコ・リンドーア選手、ホセ・アルトゥーベ選手、アレックス・ブレグマン選手などが挙げられる。彼らはMLB基準では小柄(180cm未満)であるが、ホームランもしっかりと打っている。NPBでは森友哉選手や吉田正尚選手、茂木栄五郎選手などが該当する。


これに関しては筆者も全く同意見である。

実際、バイオメカニクスの観点から考えると、手足が長いとそれだけ「慣性モーメント」が大きくなる(慣性モーメントとは「動かしづらさ」の指標である)ため、急加速・急減速は困難になる。これに関しては、「長い棒は振り回しにくいが末端の速度が大きい」「短い棒は取り回しが容易だが末端の速度は小さくなる」という例を考えてみるとわかりやすいだろう。


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