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心の場所、言葉の形


おはようございます


今日も思ってた事を書いていきます

少し頭が重いので、ゆっくりと


手の温度


こうすると、良くなる

こうやると、出来る

誰がやっても同じにしたい事ならそれでもいい


前提として最低限の基礎を教わるのは色んな事の近道になるけど

歌や絵、スポーツでも

自分であることが重要なもので自分で考えずに教わることを続けて

なんの意味があるのかわからなかった

音の強弱、表情、構図、フォーム

自分の心を伝えるもの、心と体を結ぶものを

誰かの作った形に当てはめる事がつまらなかった


先頭を走った人の技術の見様見真似をした人の真似をさらにしていく

なんでそうしたのかよりも、こうしたほうが良いという方にいく


伝えたかったものは伝わらず

伝わったものが伝わっていく


誰かの為に歌ったということで出来た事でも

ここを響かせるとか、表情とか、姿勢だとかを説明することに躍起になる人がいた

理屈じゃないものを言葉で伝えてなにがわかるんだろう

もちろん、こういう感じで~って伝えてわかる人だけじゃないし

他人の理屈を自分の感性で理解した方が出来る事もある



その形が全てに見える人のほうが世の中には必要だと思ってる

心とかいう不確かなものより、生きるために必要な形あるものを作れる人が


役割の違う人ってだけ


心を学ぶ事の多い人と

技術を学ぶ事の多い人


決まったことをやっても思うようにならない事が多かったから

教わるより、学ぶ事の方が重要だった

心を学ぶとそのさきには誰かが決めた技術が待っている

逆もまた。

遠回りと思われる事もあるけど

自分にはこの生き方が合ってる


本を読んで答えを得るより

自分の答えを得てから本を読んだほうが

理解が出来る

ただ読んで、考えや表現の形を知っても

それっぽくなるだけ



気にしすぎるから、もっと上を目指せた
立ち止まったり、振り返らなかった

だから落ちたときはからだがバラバラになったけど

立ち止まるのは、やりたいことじゃないから



結果が同じになっても良い

自分が、ちゃんと選んだ実感があるなら




Eyes On Me


形あるものとか、目で見えるものに以上も以下もないと思う人もいる


読み手に最後を託す物語があったとする

一人一人の感性で、受け取るものが変わる


ただそれ以前に、事実まで変わって受け止める人も出る

結果は見えていないんだから、語られていないんだから

どれだけの伏線や、その後を仄めかす台詞やシーンがあったとしても

直接的な描写がないからそれ以上はない

渡された最後のピースを埋めずに

与えられた完成間近の絵で完成させる

物語を終わらせない為にじゃなく、そう与えられたからそのままにするだけ

自分の感じた事だけで止まって、理解せずに満足する人


色んな人がいると常に思ってるし、それで良いと思ってるけど

感性が豊かとかそうでないとかは全く関係なく、単純に話を見逃しているだけのことだったりするのに

聞こうともしない

聞いたとしても、自分の感じたこと以外の意見は自分を否定するだけのものらしく

本当かどうかには興味がない


自分の好きなものは好きだ

誰かが知りもせずに自分の好きなものを馬鹿にしたとしても

関係ない

ただ、好きより嫌いとか負の気持ちの方が

遠くまで響く

だから自分の好きな物語を作った人に、好きがちゃんと届くようにはしたい

黙ってたら、かきけされる

難解なストーリーと、半分馬鹿にされて

次に世に出されるものは

負の気持ちで作品を貶した人に合わせたものが出る

そしてまた同じ人に貶される

作る人も意地になって、なにがしたいのかわからなくなる


ただ、自分の描きたいものが一貫してる人の物語はみやすい

難解だとしても、興味を持ってくれた人が辿り着くための沢山のヒントが散りばめられてる

良かったことも、改善点も

その人にとって、どれをみるのが良いのかわかってる感じがする


自分の作品に誠実だから





来てくれてありがとうございました


今日はあったかい気持ちと嫌な気持ちが同時に来て少し混乱してました




疲れてなにもかけずに寝ている子供に

親がそっと布団をかける

起きた子供が、それをみる


その子供が大きくなったとき

誰かにまたそっと布団をかける



気持ちを教えるって凄く難しい事だと思う

伝わったって思えるときは無いかもしれない


ただ、もしかしたら自分の知らない所で

伝わってたって気づく人もいるかもしれない

気づかなくてもいい

大事な事は、大事にしていた事は

わからなくてもきっとその人の中にあって

その先にずっと繰り返されていく


どう受け取られても構わない 今は

大事にしたいものがなんだか、自分でわかってるから



昔からよく聴いてた曲の歌詞を読むと、似た感性だからなのか似てきたのかわからないけど

その言葉を言って欲しかったとか

知らないところから声を優しくかけられた感じがしていいなって

どうしても音として聴いてしまって、言葉をよく聞き取れないんだけど

もう一回楽しめるし、嬉しくなるから

まわり道だけどいいやって


本当に書きたかった事が殆どかき消されてしまっていくのがわかったんですけど

ずっと気持ちが勝手に引っ張られていったので、そっちいくかーって

まだ混乱してるみたいです

悩んでるんじゃなく、色々書きたいんだなーって


喋らなければ、書かなければ

自分はずっと好きな自分でいられるのになー

ここにいるのはらしくない自分だけど

自分だから、一緒にいこう




おしまい


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