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心と境界線 HSC/HSE/HSPと一緒に
おはようございます
書きたいことかきます
あまり上手な文章ではないですが
思い思いに、大切に書いてます
今の気分は
大事な相手を想って選んだ封筒に
真っ白で綺麗な便箋を二枚仕舞い込む
自分でもわかんないけど
頭の中はそんな気分
タイトルにHSC/HSE/HSPとわざわざいれていますが、一人の人間は言葉ひとつで表せるものであって欲しくないとおもっているので
あくまで誰かの入口の名前位に感じて読んでくれると嬉しいです
おかし
高校一年までサンタさんがいた
プレゼントをくれる人は中学一年の時に、はやまった母親が直接聞いてきた事で親だと気付いた
けど、毎年プレゼントとは別に
自分にはサンタさんからの手紙が届く
親がみていないような事、誰も言葉にしてくれないような事が書いてある優しい手紙
それがあったからずっと、サンタさんっていう人がいることを疑ってなかった
どうしてその手紙を高校生になったら、母親が書いていたと急に気付いたのかは今でもわからない
親のかけた魔法が解けたのか、飽きたのか
自分が疑う事を覚えたのか
人の言葉は、割と素直に信じたりする方だった
くまさんの形のグミを食べようとしたとき、イテッという声が聞こえて食べられなくなった
ケーキの上に乗ってるサンタさんもこわがるから、食べられなかった
声の主はもちろん母親だった
自分の生まれを聞くと、高速道路の真ん中にすてられてるのを拾ったっていうのと
桜の木の下で拾ったという
子供は女の子が欲しかったとも
二歳位までの服は女の子のものだったとか
言葉を素直に信じる
けどそれは、相手を信じたいと思ってるから
だからショックを受けることは特になかったし、酷いという感覚もなかった
親が家族を楽しんでるのは知ってるし、自分に愛情を持ってることも知っているから
受け取った言葉を、
自分に出来る範囲でポジティブに考えてた
イテッという声が聞こえて、お菓子が食べられないことを、
自分の優しさだと思ったし
親と血が繋がってなかったとしても(冗談なのはわかってます)、物心ついてから親の事は好きだと思っているから
拾われてラッキーだったとか、高速道路はつまんないけど桜の木の下にいる自分を想像したら
なんかロマンチックだなとか
女の子が欲しかった事は、男の子=かっこいい、女の子=可愛いが頭にあったから
外で可愛いとか、女の子みたいだねって言われると嬉しかった
親の欲しかった子になれてるのかもとか
世間一般ではズレてるとか、悪いって思われそうな事でも
そこに愛情や信頼があるのなら、言葉はいい方に転がって行く
正直、かなりの気恥ずかしさがあったけど
言葉だけじゃ伝わらないものについて考えてたら頭に浮かんできてしまった
愛情があるからといって、理解しあえる訳じゃないけど
心を開いて、打ち明けられる人はいないし必要ないけど
何をみるかは自分で選べる
砂糖で作った塩のお城
中学生のとき、人生で初めて
集団で一人の陰口を言うという状況に出会った
小学校の時もあったにはあったらしいけど、よくわかってなかった
だからどうしてそんな事をするのか理解が出来なくて、自分の中で必死に考えてた
直して欲しいところがあるけど、上手く言えないとか
勉強とか親の期待とかを、誰かにぶつけるしかストレスを解消出来ないんだとか
だから、その集団の中にいた仲の良かった友達に聞いた
どうして直接言わないの?陰で言ってちゃ直して欲しいところあっても相手わかんないじゃんって
悪口言うのしんどくない?って
そしたら
楽しいよ?って言われた
びっくりした、それと同時に自分の頭の外めっちゃ広いって感動した
今まで他人だと思ってたのは自分の頭の中だけで作られた他人で
実際に見て触れられる他人とは全然違ったんだって気付くことが出来た
自分と他人は違う
だから相手の立場に立って考えても、わかるのは自分の事だけだったんだって
少し寂しかったけど、わかった
陰口はよくないけど、それ以上に他人が他人の考えを変えようなんて
自分には出来なかった
他人が駄目だと言ったことが自分にとっても駄目なことになるのが嫌だったから
ただ、理不尽にはきちんと怒る
その時は言われる側の子が前からかなりみんなに横暴だったらしく両成敗だったけど。
世界が広がったぶん、わかりたくない事が増えた、他人と自分の間にあるものにぶつかった中学時代だった
誰かの悩みはどんな味?
自分の悩みについて考えていると、ひとりぼっちで宇宙に行く
自分の人生で、あまり自分から悩むことはなかった
というと語弊があるけど
深く考えることはもう当たり前で、そういえばあの時って悩んでたのかもって後から気付くことが多かった
基本的に悩みは自分以外が絡むことで、一人では答えが出せないが故にずっと悩むこと
そう思って長いこと考え込んでいると、そのうち友達が悩むタイミングと重なる時がある
悩みの大きさはそれぞれだけど、自分がどんな悩みを抱えている時でも
友達の悩みは自分の悩みを吹き飛ばすには十分な大きさだった
自分の悩みは自分にしか解決出来ない
友達の悩みは友達自身にしか解決出来ない
どれだけ共感しても、解決策を考えようと、寄り添おうとも
最後に決断するのは自分じゃない
だから、悩みに終わりが作れる
他人はわからないから、助けになれる
自分はわからないと助かれない
悩んでいる人のために自分に出来ることを探したとき
初めて自分と他人になる
そうやって、他人の為に冷静に、一生懸命に考えた解決法は
自分の悩みの解決に良い手段だったりもした
他人を他人だと理解することで
自分の事を客観的にみれる時もあると思った
どんな味がしますか?
理解について
自分ってものが誰かに全部理解されてるならもう生きてる意味なんて無い。データで良い
わかりあってるもの同士の会話とかにある意味の無い会話に見えるもの
過去から相手の殆どを理解出来ていたとしても、
残りに相手の今を聞きたい
聞いてくれたら、嬉しい
美味しくは
もっと短くする予定でした
具体的にいうと、「おかし」の時点で切ろうと
感じた事が多いから、伝えようとすると難しい、言葉を選びきれないし
情報が多すぎてどんどん上書きされてくから
最終的に、楽しかったとか嬉しかったとか疲れたとか
わかりやすすぎる言葉にしかならないです
人の役に立ちたいというと、もっと自分の事を考えなさいと言われてきましたが
そう考えた方が楽なんです
そういう生き方が楽しいんです
うずくまってる人がいたら、声をかけないと自分が苦しい
疲れる事も多いけど、当たり前を頑張って作ってくれてる人達や似た人をみると
自分に出来ることを、自分のペースで頑張ろうって思います
他人に影響を与える程、強くはないけど
ただここにいれるように
読んでくれてありがとうございました
これHSPのことと関係あるって聞かれたら、あるけどないって思います
最初に渡した手紙に
ここまで読んで下さったことで
どうか良いものが込められていますように
浮かび上がってきますように
おはようございました