ほたてと 2020/04/20

ずっと、深夜や早朝に目が覚めたり、という日々が続いていたけれど、今日は目覚ましがなる直前まで一度も目が覚めず、夢もみたか分からないほどぐっすり眠っていた。きっと疲れ切っていたのと、緊張が解けたのだと思う。あの日々が、終わったんだな、と実感し、同居人の存在感の大きさを、改めて思い知った。あの子の小さな足音1つが、とても恋しい。

昨日は、やるべきことをやらねば、という思いで、勢いで乗り切れた。きっと、次目が覚めてからの方が、つらいだろうな、という予感は当たっていて、寂しい、という感情に、こんなにも突き刺す様な痛みがあるのだと、初めて知った。気を抜くと、もっとこうしたかった、もう一度あれがしたかった、本当だったら今頃は…、そんな詮無い思いがうわーっとこみ上げてきて、流れに呑み込まれそうになる。

思い出は、少し切ない。家のどこをみても、あの子を思い出すのは、さぞつらいだろうな、と思っていた。正直、つらいは、つらい。ただ、これは、思っていたのと少し違った。思い出すのは、どうしたって、可愛いあの子の姿なので、切ない気持ちと同時に、本当に可愛い子だったな、と優しい気持ちになれる。ほたてはすごいな。

あー。ようやく、最期の様子を、残す覚悟が固まりました。ここから下は、昨日の、ほたてが逝くまでの最後の様子。そして、亡くなった後の話。あの時取っておいたメモ。自分が、忘れたくないから残します。



4:00 胃液を吐く。白い泡の様な状態。

7:00くらいまで、間隔を開けて同様の状態が続く。
初めは白い泡のようなものだったが、最終的にピンク色の液体を大量に吐いた。今思い返すと、もはや胃液というレベルでは無かった。
血便をフローリングで漏らす。自分でトイレに行けない。

8:00 座ろうとして、支えきれず倒れてしまう。そのままぐったりと動かず。目は開いたままだが、視線は動かず。心臓の鼓動は早め。

9:00意識がはっきりしたのか、うろうろと寝床を変えてさまよう。

9:20寝室で横になったものの、倒れた状態から起き上がれず、あおん、あおん、と大きく鳴いて助けを求める。迎えに行き、ペットシーツとタオルの上へ移動させる。目は開いているが視線は動かず、恐らく意識を失っていた。

9:40 失禁。尿をするのも苦しいのか、かふかふと何度も喘ぐ。その後は再び意識が無い状態。かろうじて、瞳孔反射が確認できた。

10:40 身体中びっくりするほど冷たい。心拍数50程度。

10:50 意識を取り戻し、不意に体を起こす。苦しそうに、かふかふと何度もなき喘ぎ、視線を彷徨わせ、その後、ガタンと崩れてまた意識を失う。意識がはっきりすると、苦しいことを思い出してしまう様だ。

この後、13時ごろまで、意識が無い状態と、時折覚醒しては、喘ぐことを何度か繰り返した後、唐突に、天を仰いだかと思うと、大量のピンク色の体液を吐き出した。これが、決定打だったと思う。その後、何十秒かに一度、かはっと呼吸をし、その間隔が徐々に長くなっていって、動かなくなった。心臓を確認しようと、何度も何度も、胸に耳を当てていたが、自分の鼓動なのかほたての鼓動なのか、分からずとても困った。時折、痙攣するのが、もしかしてまだ生きているのでは、と思わせた。最終的に、瞳孔反射で、確認をした。瞳孔は、反応しなかった。

最後に苦しかった時、あの子は私を見て、私に手を伸ばした。私の手の感触を感じて、多分逝ったと思う。私の知らないところで、死んで欲しくなかった。最期を看取らせて欲しかった。一人で逝かせたくなかった。昨日は、日曜で、私はおやすみで。だから、朝からずっと側にいることができて、最後の最後まで、手を握って、背中を撫でて、可愛いねと声をかけてあげることができた。いつ死んでもおかしく無い、と分かってからの毎日の恐怖が、ようやく消えたんだろう。

その後は、もうずっと前から心に決めていた。吐瀉物と、排泄物で汚れてしまったほたてを、絶対に綺麗にしよう、と。死後硬直が始まりかけていたので、急いで対処する。タオルを小さく切ったものを何枚も用意し、濡れたタオルで、念入りに半身を拭いた後、乾いたタオルでドライする。その後仕上げにブラッシングしたら、見違えるくらい綺麗になった。濡れたタオルで拭かれることも、ブラッシングも大嫌いだったほたて。抵抗してくれないのが、少し寂しかった。

この後、ほたてを一旦おさめる段ボールが、サイズが合わなく、焦って家中を探す羽目に。ただ、今までずっと、冷蔵庫の上にあるダンボールなんだっけ?と思って生活していたが、どうも、過去冷静だった時の自分が、この日の為に取っておいたものだということを朧げながらに思い出す。本当にサイズぴったりだった。手足をなんとか小さくまとめ、凍らせておいたペットボトルで体を冷やし、その上からアイスノンも被せ、これで、時間が勝負だったところが完了した。

死後のこと、ずっとずっと考えたくなかった。だけど、この日の為に、段ボールを確保しておいた自分、アイスノンだけじゃ足りないと思って、ペットボトルをたくさん凍らせておいた自分。タオルを小さく切っておいた自分。ペットシーツを買っておいた自分。火葬先を検討しておいた自分。つらい仕事を、しておいてくれてありがとうと言いたい。お陰で、本当に、ほたてを綺麗にして、送り出すことができた。

その後、譲渡元との契約により、提出しなければならない死亡証明書について確認したく、通院していた病院へ電話をした。それまで冷静に対処していたつもりが、いざ、「そちらでお世話になっているほたての飼い主ですが」、という言葉を口にした途端涙が溢れてしまった。先生からの折り返しを待つ間、急にぐったりしてしまって、ほたての顔を見ながら、ほたての顔を撫でながら、ずっとぼんやりしていた。本当に、穏やかな午後だった。

先生から連絡あり、今来ていただければすぐ対処します、とのこと。ありがたかった。ほたては軽いが、ペットボトルが重い。大きな段ボールを抱えて、病院まで歩いていった。今年になってから、何度も歩いたこの道。不服そうなほたてを連れて、何度も通った道。最後の通院の日は、桜が咲いていた。もうすっかり緑で。

本音を言えば、家でゆっくりさせてやりたかった。連れ出したくは無かった。けれど、お世話になった先生、看護師さん達に、ほたてを最後にお見せできたことは、良かったと思う。あいに来てくださった看護師さんたち、皆、ほたてちゃん本当に可愛かったから、大人気でしたよ。と言ってくださり、誇らしかった。もう少し落ち着いたら、改めて、お礼に行きたいと思う。家から一番近い、というだけで選んだ病院だったけれど、あそこで良かった、と思う。

戻り、次いで、今度は火葬の手配。この時、本当は、遺体があることで、亡くなった悲しみが少し落ち着いていることに気付いていた。そこにいて、撫でることができる、顔を見られる、というのは思いの外、大きかった。だが、翌日は仕事。グズグズしていたら、落ち着いて送り出すこともできない。賛否はあると思うが、移動火葬車での火葬を申し込んだ。18時には来てくれるらしい。現金払いになること、お花があれば一緒にどうぞ、と言われたこともあり、ほたてを置いて、再び外へ。癖で、いってきます、とただいまを言ってしまう。

現金はともかく、このコロナの影響で、近所の花屋さんは臨時休業中。普段仏花を置いているスーパーも、午後だったせいか在庫が無し。もっと遠出すれば手に入ったかもしれないが、ほたてを一人置いておくのが嫌で、諦めて帰宅した。その代わり、ほたてが大好きだったフェルトボールと、猫じゃらしを一緒に入れることにした。ほたての為に作業している時間は、やっぱり落ち着く。

なんやかんやで、時間が来て、火葬社の方がいらっしゃった。手続きが終わった後、下で先に待っておりますので、ゆっくりと最後のお別れをしてください、と言われた。段ボールから、アイスノンや、不要なタオルを取り除く。最後のお別れかぁ、と思ったら、散々泣いたのに、また泣けて泣けて仕方なかった。忘れたくなくて、身体中、自分の手のひらで撫でて、感触を刻み込んだ。

火葬車に移す時、抱き上げると、あんなにグニャグニャだった体は、まるで一枚の板のようで、もう命が無いことを思い知った。

火葬は、1時間ちょっとだった。再び火葬車に戻り、お骨あげをした。細くて華奢な骨が多い中、後ろ足の大腿骨だけが、みょうに気合の入った太さで、あの子の素晴らしいバネはこの骨のお陰だったんだな、と少し笑えた。骨はとても綺麗で、病気を感じさせなかった。それに救われた。

骨壺、骨袋に入ったほたてを連れて帰る。ついつい、意味もなく、骨壺を撫でたり、話しかけたりしてしまう。まぁ、それも良し、だ。いつか、どこかで供養しようと思う。ただ、しばらくは、ほたての大好きだった窓辺にお骨を置いた。あの子が一番似合う場所だと思う。

あぁ、書き出したら、少し落ち着いた。これが、昨日の、ほたてと私の最後の物語。

ほたてが倒れて動けなくなった時、大声で私を呼んだ。もしあの子が野良猫だったら、あんなに弱っている時に、きっと声なんか上げないと思う。だから、あれは絶対に私に向けた声だった、と思う。私を認め、私を頼ってくれたんだ、と後から気付いて、ちゃんと、あなたの支えになれてたんだね、と思えた。本当にもう。なんて、できた子だろう。

よし、寝よう。ほたちゃん。可愛いね。今日も大好きだよ、愛してるよ。


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