奇跡のリンゴが、普通のリンゴになる日まで
それは何かが起きるべくして起きる時のリズムで、三拍子のポンポンポーンだったのです。 何かに夢中になると、周りのノイズが一切合切遮断されて耳が聞こえなくなる状態に意識せずに突入することがあると思います*が、先日、その状態でふと気がつくと感覚的には秒でこの本に辿り着いておりました。
*そうそう、緊急時に「Sterile Cockpit」と言われるすべての会話連絡を禁止して「無菌=静けさ」を作り出す航空機乗組員の規則の通称が、現在では医療現場(特に手術室)でも取り入れられるようになったんですよ、つまり耳からの音をすべて遮断させて(一切の会話を禁止)、一点に集中させる、面白いですね。
始まりはいつものように夕ご飯を終わり、後片付けをして、固く絞ったびわこふきんで一粒の水滴も残さないところまで台所周りを拭き掃除(福掃除よ)して、カフェインレスのお茶と共にパソコンの前に座り、noteを開く。
そこで最初に目についたのがgingamomさんのいつもながら完璧すぎて惚れ惚れとしてしまう記事。リンゴ大好き。毎日食べてます。でもこんな美しいアップルパイ、みたことない。
こちらで見覚えのあるお名前が出てきます→あやのんさん。
すぐさま、あやのんさんのこの↑記事の飛ぶと、木村ファンのあやのんさんは木村さんご自身にも会っていて、なんとスケッチ・サインまでもらっていて、そこからはもう早かった。ふと気がつくと、私の携帯のオーディブル本棚にはこの本が入っていたというわけです。
いつもはのらりくらりと次のオーディブルは何を聞こうかな〜と色々見て回りながらなかなか決められなかったり、ダウンロードしても途中で挫折して最後まで聴けなかったりということが結構あるのですが、今回は確信に満ち満ちておりました。そして、その確信は裏切られることがありませんでした。
大声で宣言したいと思います。
2024年下半期、第1位の本(オーディブル、おすすめ)(ノンフィクション)
でございます。いい本に出会えて、gingamomさん、あやのんさん、本当にありがとうございます。
まず、フリーライター、ノンフィクション作家の石川 拓治さん、いいですねえ。私はあからさまな「奇跡」(とかいやキセキとか)系は眉唾ものではないかと疑ってかかってしまうのですが、タイトルに奇跡とはついていても、内容はとても論理的で淡々としていて煽るところがなく、とてもわかりやすい伝記・解説のような仕上がりになっていて、とても好感が持てます。ノンフィクションの鏡。
そしてオーディブルならではの重要な要素となるのが、誰が朗読しているのかなのですが、木村さんのお話している部分をしっかりと声色を変えて、東北弁(津軽弁)での朗読が良かった大谷 幸司さんのナレーション。こちらもゆっくりとした東北弁と、淡々とした説明部分がうまく耳に馴染み、最初から最後まで違和感なし。まるで木村さんが話しているのを聞いたかのような錯覚まで起こさせてくれる素敵朗読でした。
確かに、奇跡のりんご=無農薬栽培を達成したというような話を過去に聞いたことがあったと思います。けれども、その過程の凄まじさ、悲惨さ。まさかそんなお話だったとは思いもよりませんでした。まさか地獄へ真っ逆さまのそこまでする?の、「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざを思い出してしまうくらい、良かれと思ってすることが実は良いとは限らないの辛辣さ。あらゆる手段を尽くしても、ずるずると沈んでいってしまうそのやるせなさ。その困難は数ヶ月とかという話ではなく、なんと約10年間なんですから、半端ではないのです。この悲惨な様子は裏を返せば日本の農業がどれだけ農薬・化学肥料に頼り切っているかを浮き彫りにします。農協に支持されるカレンダー通りに行う1シーズンに何十種類の農薬肥料散布は、誰も一言も疑問を挟む余地のないお決まり事なわけで、誰一人としてそこから抜けられない。
そんな地獄絵図の中で最も際立つのが人間関係。スナックで一緒に働いた同僚だったり、縁切りに近い両親だったり、義父だったり、つい泣かされてしまう場面というのはなんだかんだ言ってもやっぱり人の暖かさなんですね。そして文字にはなっていないけれどもずっと底辺に感じられる妻への愛と、そして木村さんを支える妻のどこまでも、地獄へでもついていける優しさ。木村さんも妻のそういう支えなしには成し遂げられなかった偉業なのだと思います。
この本を読まなくても、私はすでに、農作物の葉を食い尽くす害虫・害虫を捕食する益虫というような世界をいいものと悪いもので白黒に二分するようなことはないということも知っていましたし、知人には自然農法で農薬や化学肥料を使わずに農家をされている人がいたので雑草ボーボー畑も知っていました。自然がどれほど複雑かつ完璧な循環をしていて、人間の浅はかな思いつきでそれを自分の好みのままように変えることはほぼ不可能であることをざっくりとでも知っていました。元々野生種であった昔々のりんごから比べると、現在私たちが食べているりんごは1000年以上の長い人類の歴史上、改良に改良を重ねてできている別物であり、それをいきなり「自然のままに」という農業がほぼ不可能であることは予測できます。なので、この「奇跡のりんご」のようなやり方が正しいと思うかと聞かれれば、返答に迷ってしまったのではないかと思います。
思えば今は他の人の手に渡ったイギリスの夫の旧実家では庭にりんごの木があり、義母は手入れも何にもしていませんでしたが、毎年小ぶりの酸っぱいリンゴが大量に実っていました。ご近所さんのお母さんたちが毎年カゴを持ってとりにきて、お菓子を作って、の感じ(gingamomさんのように美しいお菓子ではなく、なんかどっしりした感じの)。そういうのがいいんじゃないか、欲を言えば、木村さんにもそういうクッキングアップルみたいな手のかからない酸っぱいリンゴを栽培してほしかった。
それでもこの本の素晴らしいところ、つまり木村さんの素晴らしいところは、自然の観察力。文字通り、朝から晩までりんごの木と自然と向き合っているのです。試行錯誤に実験に、すべての本を読み漁り、すべての方法を試し、それは手足を動かす実験だけでなく、もう誰も答えを出すことができない哲学の領域にまで及び、動物と話すことができたという聖フランチェスコのように、りんごの木と話すことができるようになった木村さん。人は朝から晩まで真摯に物事に向き合えばそういうところまで到達できるのだという前人未到の領域です。そして歯のない口でのあの笑顔の陰に、とてつもないキレモノ・地頭の良さ・才能が隠れています。
そうやって収穫できるようになったこの奇跡のりんごですが、私は木村さんは奇跡のりんごだとは思っていないと思うのです。木村さんにとってこれがあるべき姿の本来の、本物のりんごであり、このりんごが「普通」であり、たどり着くべきしてやってきたゴール。このリンゴをすべての人に食べてほしい、いや、すべてのリンゴ農家がこうやってリンゴを作るようになって欲しいというような大きなビジョンを持っているように思います。
いいですねえ。損得勘定で動いていない。周りの空気や圧力に流されることなく、素直に疑問を持ち、悩み、行動し、孤立孤独でも笑うことを忘れず、ばかになることを恐れない。そうそう、本文中のタヌキとのとうもろこしのやり取り部分とか、もう大好きでした。人間の営みがどうやったら自然を破壊することなく自然の一部になり得るのかを模索する。こういう人がもっと地球には必要なんですね。
「地球のためにはこの人について行った方がいいのではないか?という生き方のファンである」
というあやのんさんの言葉がとても印象的です。私も、大ファンになりました、いつか私も木村さんの畑で木村さんのリンゴを食べてみたいものです。
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