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サハリンを旅した時の写真たち
ワインとネコさんが「樺太」とコメントに書かれていて、そしたら突然2009年に樺太(サハリン)に行ってきたことを思い出しました。そしたらなんか懐かしくなってしまって、写真とかを常に整理整頓して保管しているちゃんとしてる夫に頼んで出してきてもらったものです。
その頃、我々は北海道に住んでおりました。サハリンに行こうと思ったのは、開拓後の急激な近代化であまり昔の面影を残していない北海道に比べて、もしやより北海道らしいものが残っているのではないかと思ったからです。もちろん、樺太は昔の名前、今はロシア領なので、ちゃんとビザを申請して、目的が観光であれば旅行日程は最初から最後まで泊まるホテルも前もって決めておき、現地でガイドをつけること、など色々準備が必要で、いつもだったら使うことのない旅行会社を介する必要など色々面倒であった記憶があります。行き方は空路とフェリーの2択だったのですが、我々はフェリーを選択しましたが、今はフェリー(アインス宗谷)は無くなっているそうです。そしてあの時、ウクライナとの戦争が始まるとは、思いもよりませんでしたね。
コルサコフ
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コルサコフに着くと、パスポートチェックの周りには筋骨隆々のロシア連邦軍迷彩服にグリーンのベレー帽の男性女性がゾロゾロと勤務していて、虹彩内のメラニン色素が少ない薄い色の目が冷たくて背筋がちょっとぞわっとしたことを今でもよく覚えています。
前述した通り、観光目的でもヴィザ取得のために、現地ガイドをつけることが条件だったので、コルサコフの港には、ロシア人ガイドのアレクセイが専用車で迎えにきてくれておりました。
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そうそう、タイヤがパンクしてしまったことを写真を見ていて思い出しました
コルサコフからユジノサハリンスクに向かう途中で、アレクセイが車を停めて、林で収穫できるワイルドマッシュルームやベリーが道路脇に山積みで売られているところを見せてくれたりしました。旅は9月の秋真っ盛りの時だったのです。
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ユジノサハリンスク
ユジノサハリンスクで宿泊したのはサハリン・サッポロ・ホテル。4択のうち値段の高い順の上から3番目Cを選びました。
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個性に欠ける味気ない外観に、部屋は想像を超える大きさ(キッチン、リビング付き)で、さすがロシアと思ったものです。
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北海道とこんなに近いのに、ユジノサハリンスクは雰囲気は外国。写真を見てここはどこ?と尋ねられたら東欧のどこかと答える人が多いのではないかと思います。
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散歩中にみる建物たちは北海道ではほぼ見ることのない東欧風で
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以前は恰幅のいいロシアのおばあちゃん=ба́бушк|а(バーブゥシカ)が住んでいてエプロン姿で出てきて、腰に手を当ててジロリとコチラを睨んだりしたのでしょうが、今はどんな人が住んでいるんだろう
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実際、注射しちゃうぞってこういう看板みたいに微笑むことはない
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ブドウの種類が多くない?
16年前だけども、食べ物の写真を撮るのは今でもその時も同じ
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いくらとクレープ(ホットケーキ)はかなり相性がいい(でも白米には負ける)
Russian Kitchenというレストランで
ノグリキと最高だったランチ
この旅で一番記憶に残っているのは、実は、ユジノサハリンスクから北へ600kmのNogliki ノグリキという北の果て(汽車もそこまでしか行っていない)の1日です。今でも、今まで経験したことないほどの、世界の文明の果てまで行ってきたように思える思い出です。
ユジノサハリンスクのホテルはそのままにして、寝台列車で行きました(日帰りというか0泊2日)。
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寝台列車でほぼ眠れずに迎えた朝、ノグリキに到着すると、あまりの寒さに震えました。しかも小雨。慌てて入ったノグリキ郷土博物館。
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過酷な冬と自然の中で暮らす生活様式もきっと似ているに違いない
ここで、アイヌとかイヌイットとかで有名な先住民・北方民族の似通っているニブヒ族の展示を見ていると、博物館のおばさんがやってきて、ロシア語で一つ一つ説明をしてくれます。二人で、ロシア語がわかりませんという身振りをしたのですが、なんということでしょう、全く気にすることなく Я говорю только по-русски . . . とずっと最初から最後まで喋り通しで付き合ってくれました。何て言っているのかは大事じゃない、その柔らかな物腰とか、目と目を合わせるポジティブさに心を打たれたのでした。
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つい、働くことを面倒くさがる私の脳みそは、日本から見たら北海道北の先住民はみんなアイヌ、イギリス人から見たらアメリカの先住民はインディアン、ローマ人から見たらケルト人、北方少数民族はみんなエスキモーと簡単にまとめちゃえ、と乱暴なことをしがちですが、ちゃんと観察して見てみるとアイヌとニブフは似ているようで違うということですよね。ほんと、そういう細かいところを一生懸命教えてくれようとしているように思えました。
noteの世界はひろし、このノグリキ郷土博物館の記事まで見つけてしまいました。ニブヒ(ニブフ)族は、ロシア・サハリン州とロシア本土のアムール川(黒竜江)河口付近に住んでいる少数民族なのだそうです。前述のようにアイヌと似ている文化を持ちながら、全く違う言語、DNAも異なるのだそうです。歴史的にはアイヌや満洲系の諸民族と密接なかかわりを有していたそうです。
この後、電車の時間までしばらくあったので、駅前の小さなローカル食堂に飛び込んだのですが、ここで衝撃的な、多分、今まで食べた中でもトップを争うおいしさのランチをいただくことができました。美味しさってやっぱりミシュラン星じゃないよね、時と場所によるだけでなく、寒さとかお腹の空き具合とか、ありがたみによって変わるもの。
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サハリン州郷土博物館
サハリンに行った2009年の頃はまだホロカトマム山林プロジェクトを開始していない時でしたが、今から考えてみると北海道の自然環境的に属するアムールオホーツク地域を見たくて行ったのですね。アムール川にも行ってみたい。
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北海道は、本州とは環境が異なり、ロシアと同じです。有名なブラキストン線は北海道と本州の間に引かれています。ロシア本土とサハリン、そして北海道まで、昔は陸続きだったこともありますね。
博物館内でも動物は北海道と同じ
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北海道(日本)では絶滅したカワウソも、ロシアではまだ生息しており、再導入が検討された時、ロシアから連れてくるという案が最も有力だったのは、北海道とロシアの動物相がほぼ同じであるという理由からでした。
植物相も似通っていて針広混合樹林(マツ、シラカバや、ケヤマハンノキ(Alnus hirsuta)、ヤマナラシ(Populus tremula)、ドロノキ(Populus suaveolens)、エゾヤナギ(Salix rorida)、バッコヤナギ(S. caprea)、トカチヤナギ(S. cardiophylla)、ケショウヤナギ (Chosenia arbutifolia)、ハルニレ(Ulmus japonica)、オヒョウ(U. laciniata)、オガラバナ(Acer ukurunduense)などなど)。
日本国であった樺太時代には、ユジノサハリンスクは豊原という名前で、1937年に当時同地を統治していた日本が創立した樺太庁が博物館になっているものです
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日本版wikiでは「サハリン州域の半分ほどは戦前日本領であり、日本政府の見解では1945年8月のソ連侵攻により一方的にソ連編入されたものの国際法上は所属未定地とされる。そのためこの所属未定地は、日本国内で発行される地図においては日本ともロシアとも異なる色で色分けされる」となっております。
北海道に住んでいた頃、友人夫婦の奥様の方に聞いたのですが、彼女のご両親は樺太にそれまで住んでおり戦争の頃、慌てて全てを引き払って北海道に移住したのだそうです。その頃、船で樺太から北海道に移動する際、もって行ける荷物は限られていたので、何枚も何枚も着物を羽織ってダルマのようになっていたそうです。家も何もかも全てを捨てなくてはならない戦争の惨忍さです。その頃、韓国人も多数サハリンに住んでいたそうで、韓国人は日本人と違ってサハリンに留まるという選択をした人々が多く、ショップなどで一瞬?日本人と思うようなアジア人の顔をよく見ましたが、韓国人なのだそうです。
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ホロカトマムあたりにもサハリンからの移住民住んでいたし、小学校もあったというのですが、今は全て跡形ありません。
ガイドのアレクセイによるツアー
5泊6日のうちの丸一日、ちゃんとアレクセイに専用車によるサハリンツアーをしてもらいました。
彼が連れていってくれたのは、
①王子紙業の廃墟
樺太には日本人約40万人が住んでおり日本企業も多く進出していたのだそうです。
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②海とカニ
アレクセイは優秀なガイドでしてね、まるでコンビニで飲み物買おっか?のノリで露天商でカニを山ほど買って、かにパーティーをしてくれました。
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③塩湖
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④芝浦神社
ご先祖様のお墓があるということで、日本からサハリンにやってくる人々がやはり定期的におられるらしいです。昔あった神社は廃墟になり、今は鳥居が残るのみ
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⑤Staradubskayaで天然アンバー(琥珀)を拾い集める
琥珀というのは天然樹脂が化石になったもので、破片が海岸に打ち上げられるのだそうです。バルト海のものが有名ですが、サハリンの海、知る人ぞ知るStaradubskayaという海岸線にも貝殻のように打ち上げられるのだそうです。
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虫いりのアンバーは見つけることができなかったけど、夢中になって拾いました。アレクセイ、ありがとう。とてもいい1日になりました。
そうそう、最後に余談ですが、熱源という本があります。この旅行からずいぶん経った後、最近読みました(オーディブルで聞いたんですが)。サハリンに住んでいたアイヌの物語です。素晴らしくて、大好きな本です。
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本作の主人公のひとりは、アイヌであるヤヨマネクフ。樺太(サハリン)に生まれたものの明治維新期の開拓によって故郷を奪われ、北海道に集団移住を強いられる。だが、感染症の流行で妻を亡くし、山辺安之助と名前を変えるが再び樺太に戻ることを決意する。彼はやがてアイヌの子どもたち、さらにアイヌの自立を助けるための学校設立に尽力するようになる。
もうひとりの主人公、ブロニスワフ・ピウスツキは、ほぼ同時代にリトアニアで生まれた。ロシア政府の同化政策により、母語であるポーランド語を話すことすら許されなかった彼は、意図せず皇帝暗殺計画に巻き込まれ、捕らえられてサハリンへ流刑となる。長い懲役刑期の中でサハリンの原住民と交流した彼は、現地の生活文化や言葉を記録し続けることで自らの精神を保ち、やがてその記録は民族学資料として高く評価されることになる。
実在したという人々。特に、ブロニスワフ・ピウスツキのことを知ることができ、とても優秀なドキュメンタリーのようでした。
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