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『鬼滅の刃』鬼殺隊は令和の超優良チームではないか説

ある夜、洗面所で気だるく服を着ながら、私は数年前のとある夏を回想していた。

2020年、私は狂ったように鬼滅の刃を読み漁っていた。
ページを巡り、涙を流し、またページを巡り、涙を流し、鼻を啜る、をエンドレスに繰り返す日々だった。
ドライアイとはさよならバイバイだった。

結末まで読み終わった時のえも言われぬ感動のうちの一つを、月日を経た今、それも浴室の湿気で汗ばむ中、ふと解明できたのだ。

この日私は、ストーリーに登場する鬼のお掃除屋さんすなわち「鬼殺隊」が、大正からタイムリープしてもはや令和のスーパーウルトラ優良チームなのでは?と言う結論に辿り着いたのだ。



『鬼舞辻無惨を倒し、鬼のいない平和な生活を取り戻す』
そのために、鬼殺隊の柱、剣士、隠が一丸となって戦う世界線。


私が何よりも感動したのは、メインキャラクターである炭治郎、善逸、伊之助らが成長して遂に柱となって大活躍する、という筋書きではなかったということ。

メインのキャラクターが強くなる過程は十二分に描写されていたが、あくまでも鬼殺隊の存在意義(パーパス)は『悪鬼滅殺』『打倒 鬼舞辻無惨』である。

彼らは出世したいとか、鬼を駆逐して名を挙げたい、とりあえずモテたいというモチベーションでは(少なくとも読者が観察できる範囲において)戦ってはいなかったのだ。

鬼のいない世界のために、命を賭して戦う。
彼らは究極の"パーパス"剣士なのである。

確かに、彼らのバックグラウンドは誰のものを取っても悲惨なものなので、パーパス剣士になるのも無理はない。

しかし、パーパスパーパスパンパースパーパスと意味もわからずに唱えて有難そうに手を合わせている人に、彼らに声高に問いたいのだ。

「もし目的が達成され完全な平和が訪れた時、仕事を失うことをそれでも夢見られるか」と。


そして、何と言っても鬼殺隊の大将である産屋敷耀哉が究極のホメチギリストなのである。

彼は元々病弱で剣も振るえない大将であるが、隊員からの信頼は北条政子的に言うと、とにかく山よりも高く、海よりも深いのである。

その理由は彼がメチャクチャに人を褒めるからである。
褒めて、褒めて、褒めちぎる。
その人そのものを認め、感謝する。
それでもう、隊員らのハートはイチコロである。

それも、表面的に褒めるのではなく、大きな隊の隊員一人一人をよく見、理解しているからこそ、その人が欲しているであろう言葉を、その人のスイートスポットにど直球で当てに行くのだ。

それで、隊員らの士気は爆上がりである。

技術力。センス。すご。

もしタイムマシンがあったら、私は鬼滅を全巻担いで500年前のイタリアへ急ぎ、『君主論』を書き上げる前のマキャベリに手渡して読ませたい。


マキャベリをギャフンと言わせたい。


とにかく、人を動かすためには、この時代は産屋敷戦法がかなり重要だと思う。

私もこの産屋敷戦法を身につけて色んな人を手玉に取ってコロコロできるかしらん、と思う今日この頃である。

と、読破した数年後にここまでの考えに至ったのは、きっとその日ジャニーズWESTの『ホメチギリスト』を友人がカラオケで熱唱してくれたからである。

めちゃええ歌やん。染みるやん。

友人はこの鬼殺隊流REIWA組織論のもう1人の生みの親である。この場を借りて謝意を述べたい。

ちなみに、
リーダーシップ論についても色んなタイプが取り沙汰されているが、私がオーセンティックリーダーシップなるものを知った時、ルフィと麦わらの海賊団が私の脳内の大海原で騒々しく通り過ぎていったのだった。

のびのび自由なリーダー バンザイ!!ヨホホホ〜

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