月記(2022.02)
2月のはなし。
§. なんかおもしろそうなので美術館に行った
某日、木場という町に行った。そういえば先月は新木場の話をしたが、今月は木場で橋を渡り、東京都現代美術館を訪れた。お目当てはクリスチャン・マークレーの展覧会だ。
月初に開催されたトークイベント『南波一海のヒアヒア』において、この展覧会の内容がちょこっと話題にあがっていた。ゲストの内山結愛さんの音楽レビュー活動に関する話の流れで、マークレーの「無数の音楽レビューテキストをコラージュした」作品に触れていた。まさしく音楽ライターである南波さんの感想は印象的だった。「どこかで見たことあるような言葉ばかりだし、そう思いながら自分でも書いたことがある言葉が並んでいた」。この話は、内山さんのレビューがそうした定型文的なものに縛られていない、ということへの対比になっている。トーク自体は既に視聴できなくなっているので、この点については内山さんのレビューを読んで体感してもられば、と思う。話を戻すと、このとき南波さんが何気なく発した「ちょうどいま展覧会やってるんですけど」という一言のおかげで、僕は即時google検索からの即時googleカレンダーチェックというムーブを完遂できた。この場を借りて、両名に感謝を申し上げたい。
そういえば、以前に現代美術館を訪れたのはダムタイプの展覧会だった。これもたしか、RAY運営スタッフの感想ツイートを見たのがきっかけだった気がする(ライゾマティクスと勘違いしているかもしれない)。そもそも久しぶりに美術館自体に関心が湧いたのも、月日さんが『ハマスホイとデンマーク絵画展』を紹介していたのがきっかけだった気がする。その前には『あいちトリエンナーレ2019』のライブステージにMaison book girlが出演するということで、ライブにかこつけてちゃっかり展示を楽しんだこともあった。興味関心の枝葉というのは、こんな感じでじわじわと広がっていくものなのだろうと思う。
さて、マークレー展についての感想なのだが、「とてもおもしろかった」。作品ごとで挙げれば『ビデオ・カルテット』と『レコード・プレイヤーズ』が好みだった。スマートフォンでも手軽に映像編集ができる一方、手間のかかるレコードが再び売り上げを伸ばす、そんな現在から見てみると、どちらも趣きがある作品といえるかと思う。また、もうひとつ(ふたつ?)気に入った作品があるのだが、解説リーフレットを見直してみても記載が見当たらない。展示の最後に置かれていたはずなのだが。ただ思い出してみると、それを見ていた僕の後ろを「あ、もう終わりだねー」と言いながら過ぎ去っていった二人組がいたので、見ていた僕のほうがなにかを間違えていたのかもしれない。ともあれ、そもそもはトークイベント中にちょこっと登場しただけの展覧会に「なんかおもしろそう」で突っ込んでいき、しかも南波さんが話題に挙げた作品『ミクスト・レヴューズ』は一部見逃してしまったのだが、それでもなお大満足な展覧会だった。
ちなみに僕が訪れた日は会期終了も迫っていたため、展示室内に入るまで小一時間待たなければならないほどの盛況だった。現代美術館から木場駅までは約1.2kmのほぼ一本道、そのほとんどは総面積約24.2ヘクタールのクソデカ公園・木場公園に沿っている。この見通しのよい環境ですこし困ることがある。「美術館に行きそうな人」認識オートフォーカスが機能してしまうのだ。無論、こんな機能を実装したのは全面的に僕に非がある。
帰り道、前のほうにくっつきながら歩くアベック(使ってみたかった言葉)が見えた。甲は体を斜めらせながら乙の腕に抱き着き、乙もそれに引っ張られて少しだけ傾きながら、必然的にゆっくりと歩いていた。丙たる僕は何にもとらわれていない。僕は必然的に相対的な速さを手にしてしまい、甲及び乙を追い越す義務を負ってしまった。ちなみにオートフォーカスは甲及び乙を「美術館帰りの人たち」と認識していた。丙として追い越し義務を履行したとき、「なんかよくわかんなかったねー」「でもなんかおもしろかったねー」という会話が聞こえた。もしかすると、我々は「なんかおもしろそう」で美術館を訪れた同士だったのかもしれない。なによりアベックは仲が良さそうに見える。みんな平和だった。僕は丙として勝手に不利な契約を結ばされたわけではなかった。僕は勝手に申し訳なくなりながら、心の中で同士たちに別れを告げ、きもち早歩きで木場駅へと向かった。
美術館に行った話と言いながら展示作品以外の話をしてしまうのは「よくない例」だろう。是非とも皆様におかれましては、「なんかおもしろそう」の結果出会えたすばらしいものたちについて、話に綺麗な花を咲かせて頂きたい。
§. クロスノエシス ~プレリリースディスク三段跳び~
ダークポップダンスアイドルユニット・クロスノエシスがこの春、1stフルアルバムとなる「circle」を発売する。それに先駆け、今年1月から3ヵ月連続のプレリリースディスク発売という企画を実施している。
東名阪のタワーレコード5店舗(渋谷店、新宿店、錦糸町店、名古屋近鉄パッセ店、難波店)にて、各1曲入り220円、各種500枚限定とのことらしい。どの曲も春発売のアルバムに収録されるが、その際は再録など変更が加わる予定らしく、ある意味レア音源ともいえる。とはいえ大っぴらにデモバージョンと謳ってクオリティに言い訳をつけるようなものではないので、是非とも安さにあてられて軽率にレジにお持ちいただきたい。とくに1枚目「ark」に関しては在庫も少なくなってきているようなので、3枚まとめ買いをおすすめする。
2月には2枚目となる「逆光」が発売された。発売日、僕は混雑する時間帯を避けるべく夕方早めの時間に抜け出し、某タワレコに向かった。目論見通り人影まばらな店内にスッと足を踏み入れ、CDを手にしてスピーディーに会計を済ませる。ひとタスク終了、と思い店を出ようとすると、なにやら出入口のほうから楽しそうな喋り声が聞こえる。複数人の若い女性、なんかわかんないけど、たぶん6人はいる気がした。そして半分以上は髪が派手な色をしている気がした。ここには重なるまいと思っていたのだが、どうやら負けたようだ。せめてもの抵抗として、コートの高い襟に口元を埋め、ワークキャップを目深に被り、僕は透明な存在であるという強い気持ちを胸に、速足で彼女たちの横を歩き去った。
このプレリリースディスクの曲目は、1枚目から順に「ark」、「逆光」、「リンカーネイション」と並ぶ。「ark」は昨年12月にSpotify O-eastで行われたワンマンライブの少し前から披露されている曲だ。ゆったりとしたエレクトロサウンドとメロディを基調にしながら、サビで現れる乾いたドラムンベース風のビートとの緩急が気持ちいい。ワンマン時のVJや振付もこの曲の神秘性を高めている。一方で「逆光」と「リンカーネイション」は発表時点では曲名以外に情報がなかった。とはいえ3枚目の「リンカーネイション」は既存の代表曲「インカーネイション」と酷似しており、なにかしら関連がある曲ではないか、と想像はできた。こうなると、最も謎に包まれているのは2枚目の「逆光」であり、そのぶん僕の中の期待は高まっていた。さてどうくるだろうか、という闘いに臨むような心持ち。これは僕なりのワクワクのひとつの形だ。
前述したように「ark」はスローでダークな雰囲気の楽曲だった。クロスノエシスの世界観に「ダーク」さは欠かせないのだが、同時に「ポップ」も欠かせない。個人的にこれまでのクロスノエシス楽曲の印象としては、歌詞と音作りが「ダーク」さを意識しており、一方でメロディや曲構成、リズム構成が「ポップ」さをうまく演出している、と考えている。また短いフレーズを反復することは、どこか無機的な「ダーク」寄りの雰囲気を漂わせつつ、反復は原理的にノリやすさを生むので、その点でいえば「ポップ」でもあり、そうした両義的な魅力がうまく取り入れられているとも感じる。そんななか、「ark」はとびきりに「ダーク」だった。悲しさとかでは済まされない、陰鬱さすら感じる曲だった。先述した要素でいえば、メロディが「ダーク」側に寄ったとでもいえるだろうか。ワンマンでのVJや振付ももちろん影響している。まあ、そこが良いわけなのだけど。
プレリリースディスクは、アルバム「circle」発売に向けて、3枚のディスクでホップ・ステップ・ジャンプしていく企画だ。その一発目のホップで「ark」をかまされてしまっては、次のステップの形なぞ想像もできない。さてどうくるだろうか、臨戦態勢で「逆光」を聴いた。
僕は「逆光」を重要な一曲として結論付けた。再び先述したクロスノエシスの「ダーク」さと「ポップ」さのバランス要素に照らしていえば、まず構成は「ポップ」から早々に距離を置く。ガサガサとしたノイズと、広々と響くオルタナ感溢れるギターサウンド、その中に響いてくる声の反復。一聴して、これが「ダークポップ」へのひとつの回答なのかもしれない、と直感した。「ポップ」かと言われるとそこまででもない、ただ「ダーク」かと言われたたら、それもまたそうでもないのだ。三段跳びの二段目は、事前に想像できなかったとおり、まったく想像できない場所で高らかなステップを踏んだのだ。詳しくは知らないが、三段跳びで距離を伸ばせる人は、二段目でうまく伸びるステップを踏めるらしい。「逆光」はまだライブで披露されておらず、今はこのプレリリースディスクでしか聴くことができない。是非とも「逆光」を聴いてみてほしい。そしてその伸びやかなステップを感じながら、クロスノエシスがまなざす世界の広がりを感じてほしい。そうすればきっと「リンカーネイション」でジャンプをしたときに、もっと広いどこかに辿り着けるはずだ。
§. 音楽で一言「Four Tet 『Baby』」
「写真で一言」という大喜利フォーマットがある。見る度むずかしそうだな~と考えることを放棄してしまう。文章のお題であれば、同程度の文章でもいいし、一言フレーズでもいいし、なんなら絵を描くのもアリだ。ただ「写真で一言」は基本は一言フレーズになる。文章レベルまで長くなるとダレてしまうし、絵での回答はそもそもお題写真とビジュアルがバッティングするので成立させにくい。そしてこれはタイトルの雰囲気を伝えたいだけの文章であり、大喜利の話がしたいという態度表明ではない。
内山結愛さんのトークイベント「B2BtoU vol.3」を見に行った。ライターの大坪ケムタさんが司会を務め、内山さんが仲良くなりたい人をゲストに呼び、内山さんが提示する5つのテーマに沿って曲を選び、それお互いに紹介しあいながらトークをする、というものである。出演者の回答だけでなく視聴者からの回答も募集しており、それらが毎回プレイリストにまとめて公開されている。
今回のゲストは、6人組アイドルグループ・yumegiwa last girlに所属する「シューゲイザー担当」夢際りんさん。学生時代からライブハウスに通い、自身もバンド活動を行い、その後音楽メディアで仕事をするなど、とかく音楽に向かう熱量が尋常ではない御方である。
二人の話を聞いていると、出会うべくして出会った二人だと思いながら、同時に出会うなら今しかなかったのだろうな、とも思った。現在同じライブアイドルシーンで活動をしつつ、音楽をテーマにしたイベントを成立させられる二人だが、この立ち位置に辿り着くまでの道筋は、むしろ正反対だったのではないか。
内山さんがRAYで活動を始めたのは2019年5月。ディスクレビューをはじめたのは同年8月だった。方々で語られているが、この企画自体、内山さん自身が強く押し進めたものというよりは、RAYでの活動のなかでスタッフと話し合いながら始まっていったものという色合いが強い。内山さんはアイドルとして活動するなかで、数多いジャンルの音楽に触れてきただけでなく、それらを自らパフォーマンスしてきた。内山さんは、アイドルとしての活動を通じて「音楽」というものに接近していき、いまやその「音楽」を自らの「バカ広い土台」と位置付けるまでになったのだ。
りんさんがyumegiwa last girlで活動を始めたのは2020年10月。初期メンバー3人全員がアイドル未経験、世の中は流行り病の影に揺れており、厳しい環境のなかで地道に活動を続けてきた。新たに3人のメンバーを加え、昨年11月には吉祥寺CLUB SEATAで活動1周年ワンマンを開催した。僕も会場に足を運び、そこそこ前のほうで見ていたのだが、ライブアイドルが持つプリミティブな情動に触れた気がする、文字通りに凄まじいライブだった。こうしたyumegiwa last girlの力の源泉には、良い意味でちゃんと「アイドルっぽい」楽曲パフォーマンスに向かっているという点にあるように思う。かつて「楽曲派」と称されたような「アイドルっぽくない」楽曲にこそ魅力を見出すようなムーブメントがひと回りしてしまった今、yumegiwa last girlの楽曲はむしろ「アイドルっぽく」聴こえてしまう。この辺りを深堀りしようとすると、楽曲制作も行う所属事務所・最南端トラックスの特性にも触れざるを得ないのだが、僕が持つ知識は少しばかり足りない。話を戻すと、りんさんはアイドルとして活動する以前から、すでに「音楽」という広大なバックグラウンドを確立させていた。それらは現在のアイドル活動において高密度に収斂され、王道を貫く槍に進化し得る道筋を辿っているように思えるのだ。
こうしてみると、二人は同じ盤面にいながら、互いに反対方向から駒を進めているように思えてくる。内山さんは「アイドルという点」から「音楽という土台」へエネルギーを開放していき、りんさんは「音楽という土台」から「アイドルという点」へエネルギーを収斂させている。そして、そんな反対方向に流れるエネルギーがぶつかった場こそが、「B2BtoU vol.3」だったのだ。
僕がその象徴だと感じたエピソードが、りんさんが「緑」というテーマについて選んだ、Four Tetの『Baby』という曲についての話だ。りんさんはこの曲に「緑」を感じた理由のひとつとして、Four Tetの自宅スタジオの話を挙げていた。
「最小限の機材しかなくて、前を見れば窓があって、そこに自然が広がっていて。いつか自分もそんな空間で音楽をつくってみたい」、そんな風に饒舌に話すりんさんは、本当に楽しそうだった。他にもスペインの野外フェスでのライブパフォーマンスなど、自然的なものと紐づいたエピソードをたくさん語ってくれた。とにかくFour Tetが好きなことが伝わってきた。確かにこんな自宅スタジオは僕だって持ちたい。山林のほうにプライベートスタジオを持つミュージシャンの話もよく聴くし、それこそ合宿プラン付きの貸しスタジオなんかもある。結構な共感を抱きながらりんさんの話を聞いていた。ちなみにその時点ではまともにFour Tetを聴いたことはなかった。
大坪さんが「内山さんはこの曲、どう感じました?」とお決まりの流れで話をふった。お互いにセレクトした曲は事前に聴いていて、その感想を当日伝え合うのだ。内山さんは「いまお話を聞いてすごく素敵だな、って思ったんですけど…」と若干言いよどみつつ、「…わたし全く知らなくて。初めて聴いたとき…ZARAとかのBGMみたい、って思って。リズミカルに購買意欲を煽ってくるような感じが…」と申し訳なさそうに笑い、登壇者含めて会場にかなりの笑いが起こった。
りんさんは「何故そんなに音楽に詳しいのか?」と訊かれたとき、「好きなアーティストさんが影響を受けた人、とかはどんどん調べますし、ファンの方や周りの方が教えてくれたものは全部聴いてみてます」と答えていた。そもそもが音楽に対して貪欲なのだろう。そうした人にとって、憧れのミュージシャンがどういった機材を使っているのか、どういった環境でレコーディングをしているのか、そうした情報は強く興味をひくものだ。そう思って、僕は勝手に同類感を抱きながら一連の話を聞いていた。だからこそ、内山さんの感想は最高だった。内山さんのそこまでの人生から生み出された、問答無用にオリジナルなファーストインプレッションだったのだ。僕では絶対に辿り着けない、でも言われてみればなんかわかっちゃう、最高の回答だったのだ。
テーマに沿った選曲、というのはやはり難しいようで、二人とも「曲を選ぶとき、文字とかジャケットとか、視覚情報に引っ張られてしまう」と同じ悩みを語っていた。そこにはある種の「純粋な音楽」にフォーカスしようという意図が見える。だが先のFour Tetの一幕は、結局大好きなものに引っ張られたりんさんと、意図しないところに事故のように引っ張られた内山さんの姿を見事に映し出していた。それぞれに引っ張られて笑いに包まれていたあの空間を、遥か遠くにいらっしゃるであろう「純粋な音楽」さんはどんな顔で見ていたのだろう。いち音楽好きとしては、一緒に大笑いしてくれていたと信じたいものだ。
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