8月5日に君と氷菓を(short short story)
ガタンゴトン…
「車内では,携帯電話をマナーモードに…」
最近よく思い出す。
保育園までは君とお互いに○○ちゃんと呼びあっていた。
小学校に上がると、さん付けをするようになった。
小学校ではそれが決まりらしかったので、幼馴染の君も皆んなも互いを○○さんと呼んだ。
すでに親しい呼び方があるのに、わざと丁寧な言い方にするのは不自然に思えて恥ずかしかったけれど、そんな気持ちもぎこちなさと共に少しずつ薄れていった。
ガタンゴトン…
高校生になって、多くの人はさん付けをしなくなった。
叩き込まれたはずの教えは当たり前のようにどこかへ行ってしまい、君の名前もいつの間にか呼び捨てになった。
さん付けをやめるのは、付け始める時に比べるとかなり簡単だったし、ごく自然なことに思えた。
それなのに、君はなぜそうしなかったんだろう。
もう呼び方を変えるタイミングはすっかり失われてしまった。
ガタンゴトン
ガタンゴトン…
あれは何歳の頃だっけ。
風邪をひいた時に君はとても心配してくれて、部屋のベランダに「早くよくなってね」のメッセージとクローバーを置いてくれた。
背中を丸め一生懸命に四つ葉を探す姿を想像して気持ちが穏やかになった。
懐かしい。
家の近さに比例して二人の距離はとても近かった。
ガタンゴトン…
でも、
二人の間に張り始めた薄い膜は、
少しずつ厚みを増す。
近づこうとしても君が離れていってしまうように感じる。
なのにどうして、
君はこんなにも近くにいるんだろう。
ガタンゴトンガタンゴトン…
君にはとても君らしい所がある。
学校で君は同級生に「髪に何か…」と優しく声をかけてあげていた。
でも、決してそれを取ろうとはしなかった。
「取って」と頼まれても絶対に手を伸ばさないので、見ていたこっちはなんだか面白くなってしまった。
それと同時に手を伸ばさないことにとてもホッとしていた。それが自分と同性だったからかもしれない。
困っている君が可愛くて、少し離れた所でその様子をぼんやり眺めていると、当たり前のように君と目が合った。「○○さんとってあげて..」と頼まれる。
十何年も一緒だと、恥ずかしいほどすんなりと身体が前に出てしまう。それは、君の目が言葉より先に話すからだった。
近よって体育着の糸くずを頭から取ってあげた。
「ありがとう」先に君が言う。
ガタンゴトンガタンゴトン……
今ではもう、幼馴染の君に○○さんと呼ばれることの方が特別なのだと言い聞かせている。
君が未だにさん付けをしている相手は少ないそうだし、その中の一人と言うだけで、いいと思った。
だから、この距離をどうにか保とうと必死になってしまう。
近づいても、離れてもいけない。
壊さない様に
ガタンゴトン…ガタンゴトン…
そういえば君、犬がこわいって言うのににゴールデンレトリバーには飛び付くんだよね。顔が優しいから、とか言ってたっけ。
もういっそのこと君と出会えるゴールデンレトリバーになりたかったな。
こんな風に心が君に振り回されている。
キューーー
「右側のドアが開きます
ご注意下さい」
何度自分に言い聞かせても、
君が隣に座っている時間は特別急いで過ぎてしまう。
どうしてこんなに君が近いんだろう。
君って人は、
「発車します」
君って人は、
そんな風に思っている人の肩で、
気持ちよさそうに寝ないでよ。
ガタン……ゴトン……
ガタン…ゴトン…
ガタンゴトン
ガタン
降りるはずの駅は過ぎてしまった。
君と食べようと買ったアイスも、
容器の中でゆっくりと溶けた。
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