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HSPの我慢の限界値

HSPは我慢し過ぎてしまうところがあるといくつかの記事で読んだ。

我慢の尺度は残念ながら測れず、どのくらい我慢したかは人によって違う。

だから、自分がどのくらい我慢を重ねたかはあくまで主観に過ぎない。

けれど、友達との会話の中で、私って我慢しすぎなんかなって思う事が度々ある。

友達に言わせればとうに超えていた退職の分岐点

先日、仕事が辛いと感じた時、やめるかやめないかの分岐点はどこだ?という話になった。

友達は「家のことに支障が出たら」と言った。

私の場合、家事や子供のことの生産性が著しく低下していることは、わりとしょっちゅうだったから、えぇ!そーなの!?とびっくりした。 

もちろん家のことがおざなりになっていても平気かどうかは価値観の話でもあるから、一つの目安に過ぎない。

ただし、私の場合、家のことがおざなりなっていても陽気に笑っていられるタイプではなく、実はとてもとてもストレスなのである。

子供の勉強を見てあげられてないとか、
ごはんの品数がちょっと少ないなとか、
部屋が散らかってるなとか、
掃除ができてないとか、

そういうことが常々心に引っかかっている。

だから、分岐点として採用していいポイントを無視していたのかも知れないと初めて思った。

仕事やめたいって言えない

ママ友に会った時の話だ。

「もう仕事辞めたいんだよね〜!」

と実に明るく言う。割と最近入った会社だったはず。お給料もいいし、人柄が社長に気に入られたと喜んでいた。

わたしはこう言うことが言えないのだ。これくらい開けっぴろげに仕事やだ、やめたい、を人に言えることが羨ましかった。

これが出来るか出来ないかによって、ストレス発散度合いなり、仕事を辞める辞めないの決断の早さなり、悩み始めてから悩みが解消するまでのプロセスに何かしらの違いがあるはずだ。

私がひいた限界値

ここ数ヶ月、黙っていても涙が出てくるようになってしまったのだ。

流石にこれって普通じゃないよね?とここまできてやっと、もう頑張らなくていんじゃね?と自分に言ってあげることができた。

冒頭で、HSPは我慢し過ぎてしまうところがあるらしいと書いた。けれども、HSPの特性上の話だけで片付けられないような気がしている。

私はこうしたい、私はこれが大事、私はここだけは譲れないという意思や意図、自分の信念みたいなものがボヤけていることが問題の根本にあるような気がしている。

HSPの特徴で、他社の感情に過度に共感したり、対立を避けて調和を重んじたり、自己犠牲したり、責任感が強過ぎたり。こういう気質が、自分が生きていく上で軸にすべき「私ってこういう人です!」の部分すら丸め込んで生きてきてしまった原因で、自分の心身をとことん麻痺させてしまったのだろう。

別な機会に改めてしたためたいと思うのだが、私には意見がない(または、言語化するのが苦手、考えがまとまらない)という悩みがある。

それは、自分の価値観みたいなところにも侵食している問題だ。

意見が出てこなくたって、せめてせめて、私はこうありたい!のところはクリアにしていかなければいけない。

でなければ、私はこれから先も限界値を果て無しなく遠いところに置くことになるだろう。

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