対話して実感「威張り続けるおじさんが、どんどん孤独になる理由」
威張る年長の男性が何より苦手だ。
その原因はきっと僕の生育環境に関係している。
僕には、体が大きいだけでなく自分を過剰に大きく見せようとする年長の兄がいた。彼の弟として育ったことで、威張る男性を毛嫌いするようになった。
先日、ある集りで威張る男性と腹を割って話す機会があった。
なんと僕の隣の席に座られてしまった。
最初は逃げ出したくてしかたなかったのだが、席の移動が難しかったので「どうせなら腹をくくって、対話しながら内面を覗き込んでみよう」と2時間ほど話してみることに。
・勝ち負けの世界で生きている
・長幼の序への強いこだわり(「先に生まれた人間は無条件に偉い」という考え)
・弱みを見せてはいけないという信念
・会話=自己アピール
2時間ほどの対話で、威張るおじさんが上記の価値観へ強く執着していることがわかった。
世代的な価値観なのか、生まれ育った環境なのかはわからないが、威張るおじさんは「ありがとう」「ごめんなさい」を相手に伝えるのが極端に苦手。
家父長制文化の影響があるのかもしれない。
人の話を傾聴するよりも、自分が場の中心となり会話の主導権を握ることを好む。
そして「男たるもの〇〇であるべき」という考えが非常に強い。
ご本人には伝えなかったが「自己開示して、もっと素直になれば生きやすくなるのに」と思った。
話していて実感したが、かわいげを覚えるところや、人から好かれる部分をたくさんお持ちなのだ。
強張っている人ほど避けられる。緩んでいる人ほど好まれる。
これはコミュニケーションの本質だ。
威張ったりマウンティングしたりせず、横の連携で楽しく生きている人たちはたくさんいる。
男らしさへの過剰なこだわり。それによって得られる快楽や快感が、恐らく過去にたくさんあったのだろう。
自分が苦手な人たちを一方的に否定するのではなく、実際に膝を突き合わせて対話してみると、気づきがあるので面白い。