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「感情に触れる喜び」「感情に触れる不安」のふたつ人にあり
仕事やプライベートなども含め、一日の中で結構な量のメールやLINEのやりとりをする。
やりとりを通じて感じることがある。
総体的に言って、男性は感情の共有をあまりしたがらない。
中には壁を作り「境界線を超えないぞ」と強固な意志表示をする人もいる。
「境界線を超えない」という姿勢には「こちらの境界線を侵犯しないでね」という隠れメッセージがあるかもしれない。
感情の共有が上手な人は、コミュニケーションや仲間づくりも上手である。何気ない一言で、相手の気持ちを和ませたり緩ませる人とのコミュニケーションは楽しい。
僕が仲良くなる男性は、往々にして感情の共有が上手な人だ。
感情の共有が苦手な人は、コミュニケーションが四角四面で頑固でそっけない。
情報や論理を好むのもこのタイプで、どちらかといえば人の話を聴くよりも自分の話をしたがる。雑談は苦手で、意味のある話にこだわる。「目的ありきのコミュニケーション」という捉え方をすることが多い。
負けず嫌いで「優か劣か?」で全てをジャッジしがちな人も少なくない。優れた自分を見せたがる人ほど、自身の劣等感から目を背けがちだ。
また相手と境界線を引きたがる人は、相手の名前を呼ばない傾向が強い。心理的にできるだけ距離をあけておきたいのだろう。
興味深いのは、感情の共有が苦手な人ほど実際に顔を合わせると寂しがりだったり、依存心が強い傾向にある。
それは感情を受け取るという行為を軽視し続けた結果、無意識、自身が「何か満たされていない」と感じているようにも映る。
恐怖や不安が強く、自分をオープンにしたいものの「実際にさらけ出した結果、嫌われたらどうしよう?」という怯えがある。
客観的に書いているように映るかもしれないが、こういう傾向が僕にもあるので、そういった不安は感覚的によくわかるのだ。
ポジティブな感情に触れるのは誰でもできるが、ネガティブな感情に触れるのを怖がる人は多い。
ただし、ネガティブとポジティブ、どちらの感情も受け取った方が心によい。
「ポジティブな感情だけ欲しいんです」という生き方は、成り立たない。
生きるとは、両側の感情に触れることかもしれない。
感情に触れることを恐れる人よりも、感情に触れられることを喜べる人の人生の方が豊かなのは言うまでもない。
情報化社会にどっぷりつかり、テクノロジーばかりに触れていると心の機微が弱くなりがちだ。
感情的だから人間なのである。
日々、正負の感情に触れるのが、人の本来のあり方だろう。