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やりたいことが見つからぬモグラの20代「動き出せない辛さ」を経験
20代は人生の方向性が定まらず、やりたいことも見つからず悶々としていた時期だった。
なんとなく「やりたいことがない」と言ってはいけないと感じており、それほどやりたくないのに「これが夢なんです」と宣言し、無理やりやっていたこともあった。
当然、上手くいかなかった。
内発的な動機が大事だと、よく耳にするが、やはり内側から「これをやりたい」という気持ちが湧きおこらないことをやっていると長続きしない。そして成長もしづらい。
当時の僕は「やらなきゃ、やらなきゃ」と生真面目に頑張っていたが、さぞ悲壮感あふれる努力に映っただろう。
繋がっていた人間の数自体も限られていたし、抑鬱状態が続き実家へ引きこもったこともあった。
長いモラトリアムを経て、あることを学んだ。
動き出さない状態が続くのは、とてつもなくしんどいということだ。
これはきっと経験しないと、わからない。
この経験があるので、社会に背を向けて回避的になる人に、僕は「逃げてはダメだ!」などの正論を語らないよう心掛けている。
進展がないと焦りばかりが生じ悪循環に陥る。
長年の紆余曲折を経て、動かないままの状態で辛さを噛みしめているよりも、動いてたくさん失敗して積み重ねていこうと決意した。
そこから実家を出て、手当たり次第に興味があることに挑戦し今にいたる。
何が自分に向いていてやりがいを覚えるかは、やってみないとわからない。
最初はそんなに興味のなかったものが、いざやってみると面白くなり、長期間続くことも。
また他者が「あなたはこういう適性がありますよ」と教えてくれることもある。
「外側から見た自分」という客観的な情報はとても重要だ。
20代の悶々時代に聞いていた歌をYouTubeで久しぶりに耳にすると、当時の不安感がよみがえり「あの頃の自分は、暗中模索だった」としみじみ感じる。
モグラの一種でヒミズという呼称のものがいる。
ヒミズは「日を見ず」から来ているのだが、当時の自分は社会や人間という光に背を向けるヒミズだった。
しかしその辛かったヒミズ時代があるから今がある。
今でもしんどくなることはあるが、その度に「ヒミズ時代に比べれば、全然楽だ」と自分に言い聞かせている。
辛かった過去と比較することで前に進めるので、やはり悶々とし続けたあの20代は自分にとって重要だったのだ。
「もうあの頃に戻りたくはない」というのが、本音ではあるけれど。