HSPやINFJは「控えめな美しさ」を意識して暮らすことで、心が洗われ軽くなる
電車で移動中に、ふいに心がざわつくことがある。
床に誰かが捨てたゴミが散乱していたり、車両にいる全員に聞こえるような濁声を響かせる人と乗り合わせた途端、決まってざわっとなる。
これはもう感覚的なものなのでしかたがないのだが「美しくない」と感じたものに出くわすとざわざわするのだ。
「耳目を集めたい」という目的で大きな音を立てたり、承認欲求に突き動かされてその場の調和を乱す人を目の当たりにした際も、ざわっとする。
その昔、古くからの友人にこんなことを指摘されたことがあった。
「あなたはきっと美しいものに囲まれたい人だと思う」と。
そのときは、ピンとこなかったが、そのあとその言葉を自分なりに咀嚼してある結論に達した。
自分は派手で華美な美しさではなく、控えめな美しさを好むと。
それはわかりやすい見た目の美しさなのではなく、所作や配慮、思慮など内面的なものに傾いているかもしれない。
昔の日本人が自然と持っていた清潔さに通じる気もする。
日本人の清貧さは、物質主義、資本主義、テクノロジーによってずいぶん失われてしまった。
以前、こんなことを言われたこともある。
「あなたは品のない人を、本能的に避ける」と。
noteを通じてHSPやINFJの人と、交流させていただいているが「美しい生き方をされている方が多い」と感じる。
「自身の優位性を誇示して、優越感に浸る」という他人軸ではなく、「つつがなく自分らしい暮らしをしたい」というシンプルな方が多いので波長が合うのだ。
そういえば、こんまりこと近藤麻理恵さんが「INFJなのでは?」という説がささやかれているらしい。なんだかわかる。
不必要なものまで、所有しすぎるのは美しくない。なぜなら、衝動的に買ってしまう物の多くは嗜癖や欲と直結しているから。
自分に必要なものが何かを理解し、本当に欲しいもののみに囲まれた暮らしは美しい。
本来の美しさとは、洗練されたシンプルなものなのだろう。