自分の発言を否定される度に、心に傷が…「改善のきっかけは環境の変化」
「それはちがう」「前提が間違っている」など、否定的な言葉を言われるのが何より嫌だった時期がある。
今でも関係性次第では「否定された」という傷つくことは少なくない。
だが過去と比べて、ずいぶん心に傷の入る機会が減ってきたように感じている。
相手が自分の意見を伝える行為と、否定されることは異なる。
こちらがトンチンカンなことを口走っていたら、それを訂正する意見が述べられるのは当然だ。
しかし傷が癒えていないと「否定された」とつい解釈してしまいがち。
この苦しい解釈から少し脱却できたのは、不信を信頼に変えられたことが大きい。
ネガティブな経験が増えると「簡単に人を信頼しない方がいい」「信頼することは危険」といった不信の信念が作られる。
不信の信念には、心の防波堤のような役割をはたすが、同時に「感情を感じとりづらい」「信頼していい人まで信じられない」というデメリットがあるのだ。
僕が不信の信念を持つきっかけになったのは環境だ。
周囲に劣等感の強い人間が多く、彼らから攻撃されることが多かった。「全ての中心は俺。お前なんかモブにすぎないから黙ってろ」というナルシストだらけのときもあった。
こういった人々のマウント行為に、度々傷ついた結果、人間全体への不信感が生まれたのだ。
さてアメリカの心理学者アルバート・エリスの提唱したABC理論というものがある。
ネガティブな出来事が多いとネガティブな信念(認知)が生まれ、ネガティブな結果を招きやすいというのは、当然の帰結なのだろう。
環境が変わると、出来事が変わる。
ありがたいことに、新しい環境へ足を運んだことで僕の良い面にフォーカスしてくれる人が増えた。
いつも僕の味方をしてくれる妻の存在もかなり大きい。
これにより不信が薄まり、信頼へと変容していったのだ。
今は、否定的な意見を言われた際、一瞬「うっ…」となることがあるものの、言われたことを持ち帰って内省することができている。
しんどい人生を変えるには、関わる人間を根本から変えることだろう。
つまり環境を変えれば、人生は自然と変化していくものなのだ。
最近またコミュニケーションをする人が入れ替わり始めており、ワクワクしている。