「京アニ事件・青葉被告の他責癖は実父に酷似⁉」大嫌いな人間を無意識にコピーする心理
先日、青葉被告への判決が下った。
彼に対して強い関心があったので、検索してみると青葉被告の母親の供述調書で「性格が父親にそっくりだ」と箇所に法廷で触れられたとあり、その際、青葉被告は動揺したように頭を小刻みに揺らしたという。
青葉被告は父親のことを強烈に恨んでいたようなのだが、彼が年齢を重ねるにつれ、憎くてしかたなかった父に似ていったのはなぜだろう?
そういえば専門学校に通っていた頃の後輩で「父親が許せないんです」と憤る人間がふたりいた。
彼らの相談によく乗っていたのだが「俺の父親はこんなひどいヤツなんです!」と言いながら挙げた特徴を聞いて驚いた。
それらはいずれも当人たちが色濃く持っている、他者を困らせる厄介な癖の部分だったのだ。
もちろん彼らは、自分たちが父親にそっくりである事実に気づいていない。指摘されると傷つくだろうから、その点には触れなかったが興味深い現象だなと思った。
恐らくだが、憎んだり恨んだりすると相手を常々意識するようになる。意識しすぎるあまり、相手のパーソナリティをコピーし、自分の中にも作り出してしまうのではないだろうか?
完全に視界の外へはじき出して無視するような対象を、人はコピーすることはない。
「どうでもいい」と思った相手に対して、人は残酷なほど無関心になるものだ。
こちらの拙著のあとがきで僕は
「本を書きあげて気づいたのだが、自分にも自己愛者の種が確実に宿っている」と記した。
僕も歪な自己愛者や悪性ナルシストに傷つけられ、彼らに恨みの感情を抱いた時期が長らくあった。
しかし意識しすぎるあまり、同じような道を歩む兆しがあることに気づき愕然……。
内省した際に、思考や考え方が似ている部分があることが判明したのだ。
それから自分も彼らも全く別の生き物ではないと捉え直し、悪性ナルシストになる種を持っているのだから普段からの行動や言動には一層注意しようと考えを改めた。
恨んだり憎んだりという関係は、距離が近い家族間で起こりやすい。それは「近しい関係性だからこれくらいは許されるだろう」と、頻繁に境界線を越えてしまうことが原因かもしれない。
血縁家族であれど「近しい他人」といったドライな捉え方をしておけば、そこまで愛憎の渦に巻き込まれなくなる。
愛憎とは関心の一環だ。恨んだり憎んだりしている相手のことを結局、人は放っておけないのかもしれない。
誰でも憎悪の対象に対しては「そこを改善すべきだ!」「そんなことは許されない!」という要求と加害性を持っている。
つまりその時点で、ネガティブな渦に巻き込まれているとも言えるだろう。
青葉被告に関しては、同情すべき成育環境だったと思うが、彼が父親と酷似するような人間になりあれだけたくさんの方の命を奪ったのには、やはり憤りを感じる。
ある対象から影響を受けることを、心理学的な見地で「取り入れ、摂取」という。
「取り入れ、摂取」とは、他人の価値観や感情などを自分のものにすること、まねること。
ネガティブな摂取もあれば、ポジティブな摂取もある。
青葉被告は、秋葉原事件の加藤智大氏に強いシンパシーを覚えていたらしい。
どうせ摂取するなら、憧れの人を自分の中に取り入れて好循環を起こせる人生がいい。
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