HSPやINFJは、どんな一日でも「出たサイコロの目」のように、そのまま受容するのがオススメな理由
年齢を重ねるにつれ、億劫な気分で一日が始まることが増えた。
睡眠が足りていなかったり、気圧の影響で頭が重かったり、昨晩食べ過ぎたせいで胃が重たかったりなど、理由はいろいろある。
でも、どんな重い朝でも、まずその気分、コンディションを受け入れることが、有意義な一日につながる。
一日はサイコロの目のように、日々ちがう。1が出る日もあれば、6が出る日もある。サイコロの目は、コントロールできない。
実際には6通りどころではなくもっと多種多様な日々だが、サイコロを振ってみないと何が出るかわからないように、その日を生きてみなければ、どんな一日になるかは誰にもわからない。
だからこそ面白いとも言える。
不必要なのはジャッジだ。
ジャッジは、受容を拒むということでもある。
何が起ころうと、どんな気分でも、ひとまずそれを受け入れればいいではないか。
拒もうとしても、現実は容赦なく押し寄せる。現実に背を向けても、しかたがない。どこかの噺家が言ったとおり「現実は正解」なのだから、拒みようがない。
無暗なジャッジを繰り返すことが癖づくと、幸せは遠ざかる。裁判官のように色々なことを裁く人は、だんだんと傲慢になる。
裁く権利がない人ほど、なぜか裁く側に回りたがる。こういう人ほど、自身の尊大さに気づかず苦しむ。そして尊大な人ほど、怒りっぽい。
「なんで今日に限って〇〇なんだ!」という怒りは、確実にあなたの一日の充実を奪うだろう。
例えコンディションが悪くても、例え不運な出来事が起きても、大事なのはそこからどうするか、何ができるかだ。
「今日をどのように過ごすか?」を決めるのは、まぎれもなくあなたである。
あなたの意志により、満足度の高い一日にもすることは十分可能だ。
どんな一日も再現は不可能と知れば、その日の尊さを知れる。
起きて過ごしてみないと、どんな一日になるのかわからない。
実はこれって不規則ゆえに、とても面白いことなのだ。
バイキングのコントの中で発せられた名台詞「なんて日だ!」を意訳すると「なんて意外性があって面白い日なんだ!」となる。
決まりきった一日が、永遠に繰り返されるなんて退屈極まりないが、大丈夫だ。あなたにとって想像できないことが、今日もきっと起こる。あなたはただ、それを楽しめばいい。
さて、あなたは今日、どんな一日をどのように過ごすのだろう。
今日も素敵な一日を。
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