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【HSS/HSPの子育て】「子どもの学校ツライ」の対処法。

こんにちは。
HSS/HSPのずぼらーまめ子です。

このブログでは、HSPであることを知ってから10年間試行錯誤して得たHSPノウハウをシェアしています。HSPの方には人生の参考に、HSPでない方にはHSP(あるいはHSS型HSP)である私の体当たりな人生を楽しんでいただけたら嬉しいです。

本日のお題


さて、本日のお題は「【HSS/HSPの子育て】「子どもの学校ツライ」の対処法。。」です。

わたしは、HSCでした。全神経を外界に集中させて生きていたw
横断歩道は「白い線を踏まないといけない」と勝手にルールを作り、勝手に強迫観念に囚われる。踏まなかったらどうなるかわからないけれど、とんでもなく恐ろしいことが起きるに違いない、そう信じていた。2人組を作るときは「絶対にハブにされないように」と、10分前からめぼしい子を決めて、狙いを定めていました。思い返せば神経をピリピリさせながら生きていました。

最近、我が子がHSCだという確信を持ちました。最近休み時間に一人で遊んでいる様子。よくよく聞くと、どうやら女子グループにうまく入れていないらしい。。。特に意地悪されているわけではないけど、自分から入っていけない娘。モヤモヤ考えたことをnoteに綴っておきたいと思います。

HSCはやさしく育てるべきなのか?

SDGsの時代ですね、
今の世の中の風潮は「ムリをさせない」、これに尽きます。

学校に行きたくないなら「ムリに行かせない」。
多少不登校になっても、自分から進み始めるまで温かく見守る。

でも、本当にそうなのかな?
という持論。
受け入れられない方はこのあたりで読むのをやめてくださいね。

昭和の時代のHSCの育て方

前述の通り、わたしは「昭和の女」w
ジャイアンとのび太の友だち関係が成り立っていた時代です。不登校を許す親なんてそうそういなかったし、子どもの気持ちよりもルールが優先の時代でした。

かくいう私にも不登校したかった時が2年ほどありました。そんな中で私は「学校は行くべきもの」と思って通っていました。いじめにあったわけではありませんが、中学を卒業する時に「ここであったことはすべて忘れよう」と静かに決意しました。だから、うっすらとした記憶とものすごい孤独感とずっと脳内を取り囲んでいた暗い闇しか覚えていません。私のむちゃ食い症候群はここから始まります。

あの頃を振り返ります。
親が
「学校休んだら?」
と言っていたら、どうだったんだろう。

正直これはパンドラの箱。
私の親は「不登校=レールから外れた人生」と思っていたので、不登校児のことを小バカにしていました(そういう時代だったの、許してね)。私にもそれは伝わっていた。だから、毎晩こっそり泣いていようと、親には学校がイヤとも言わなかったし、寂しいとも言わなかった。

繰り返します。
親が
「学校休んだら?」
と言われたら、どうだったんだろう。

確かに、結婚するまでずっと付き合い続けた暗黒の孤独からは抜け出せたかもしれない。でも、所詮は同じ親。とても無神経な親だったのです。絶対にわたしのことを理解できない。きっと私は両親に心を許して全部をさらけ出したりはできなかったでしょう。

だったら、多少(どころではありませんでしたが)キツくても無理矢理学校に行って、無理矢理進級して、「普通」を保てた今のほうが良かったような気がする。

令和的HSCの育て方に物申す(偏見まみれの持論)

子どもが危機にさらされていたら守りたくなるのが親ってものです。
私だって、どうやら子どもが「ぼっちらしい」と知ってからは小学校の周りをウロウロしたり(不審者フラグw)、不安が頭から離れなくなります(←私、HSPだからね・・・)。

でも、どんなに厳しい状況に子どもがいようとも、私はずっと子どもの傍で寄り添って居てあげられるわけではない。子どもはいつか成人し、社会に出ていかなければならない。ならば、自立できるように育ててあげることが私の役目だと思うのです。ずっとずっと守ってあげられればいいけれど、そんなの無理。社会は過酷です。生き残るためには馬力が必要。HSCにとっては本当に生きづらい社会。でも、そこでHSCとして生きていかなければいけない。

だったら、苦しみを取り除くのではなく、その子にとってベストな社会に立ち向かう方法・社会と共存する方法を見つける手助けができたら、と思っています。

できること

何事にも度合いってものがあります。
私は多少はムリしたほうがいいと思う。でも、限界を超えたら元も子もないので、そこまでムリする必要はない。

だけど、前述したように気難しいHSCに親ができることってあんまりないんじゃないかと思う。特に思春期になってくると何をしたってイラつかれる。地雷が多すぎるから(泣)。だから「行く」とか「行かない」とかじゃなくて、それ以外で親にできる(私がしてほしかった)ことをお伝えしますね。

  • そのままで素晴らしい、そのままでいい、ということを伝える
    (できれば、子どものことを毎晩抱きしめる)

  • 人生なんとかなる、と教える。
    Tomorrow is another day.(明日はまた新しい日)
    『風とともに去りぬ』より。

  • レールを外れてもいい、と伝える

そのままで素晴らしい、そのままでいい、ということを伝える(できれば、子どものことを毎晩抱きしめる)

これを教えてもらっていたら、私の真っ暗闇な心はもう少し明るかったんじゃないかなぁ、と思う。私の親は私と向き合うことはなかったから。最近まで親に愛されていたことも気づかなかった。親からしたら「こんな大変な思いしながら世話してるんだからそんなんわかるだろ~~~」と思うと思いますが、言わないと伝わらないもの。

人生なんとかなる、と教える。Tomorrow is another day.(明日はまた新しい日)『風とともに去りぬ』より。

失敗してもだいじょうぶ、だと教えてあげてほしい。
私はエレベーターの非常ボタンが押したくて押したくて仕方なかった。
(実は今でも押してみたい)
とてもくらだないことですが、でも、押さないと「押してみた」の向こう側の世界にはたどり着けない。つまり自分の許容できる世界は狭いまま。ひとつずつ失敗を増やして、子どもの世界を広げてほしい。そうすることで
「このくらいはだいじょうぶ」
の許容範囲が広がります。

レールを外れてもいい、と伝える

HSPは10人に1人の割合しかいない。10%。つまりどう考えても社会の常識の「レール」から外れやすい。

でも、よーく考えてください。

「レール」って誰が決めたの?

HSPじゃない人でしょ?HSPからしたらほんと迷惑な話。生まれたら周りに宇宙人がたくさんいて、「いや、これが普通だから、これに従ってもらうよ」って。私からしたら私は人間だし、宇宙人の「普通」とか私の「普通」じゃないし。本当はこのくらい明らかなことなんだけど、HSPと非HSPの違いは見えないからHSPの人も気づかない。
「なんで自分だけこんなにレールから外れちゃうの???」
と焦る。

でも、簡単なこと。
HSPの価値基準は非HSPと違うから。
(↓よかったら読んでね)


まとめ

個性を全容することが正義のこの時代、流れに反する考えだったと思いますが、ちょっとしたスパイスと思って読んでいただけたら嬉しいです。

子どもがツライのを見ると、私がに代わってあげたい!!!と思いますが、子どもの人生。親は親のできることをしたら、後は見守るだけ。意外と子どもは強いものです。子どもの力を信じてあげましょう。

うーん・・・文章ってムズカシイ。思っていることがうまく表現できませんでしたが、過去のHSCだった自分を振り返りながら、ちょっと書いてみました。

少しでもお役に立てたら嬉しいですヾ(*´∀`*)ノ

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のんびり平和に♪ずぼらーまめ子
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