効率主義考えすぎで、完璧主義な私を客観視してみた
やりたいことを考えたり、今日の1日のスケジュールを考えると、完璧主義になってしまいます。
完璧にできないと思っているし、子どもの機嫌も変わるし、わざわざ細かくスケジュールを組まなくても良いと思っているのについつい頭の中でイメージしてしまうのです。
約束があれば、10分前には必ず着くように交通手段や時間を確認し行く場所によって行きたいと思っていた場所が近ければ、ついでに買い物や郵便物を出すなど、効率主義もあります。
自分の行動に「無駄を省く」ことに全力で頭を使っているのです。
待つのはいいけど、遅刻は絶対ありえない。
人に誘われたり、頼まれたりすると断れない
学生の時は課題や持ち物の忘れ物もありえない
いつの間にか人に合わせて嫌われないように、当たり前のことをやらなければと思っていたために生きづらさを感じ、自分で自分を苦しめていました。
完璧主義を常に無意識に行っていたため、完璧でなくなったとき、ひどくパニックになり動揺します。
限界を迎えると泣いてしまうときもあります。
他人からみたらそんなことで‼と思われるかもしれませんが、私の中で「あれできてなかった、これできてなかった」の最後のできなかったと認識したときに、自分でばくばくしてしまうのです。
しかも、完璧にできたときによく分からない達成感があります。絶対に人には言えないけど、私ちゃんとできてる偉いでしょみたいな部分がありました。
しかし、最低限はできていても評価は普通です。あの子忘れ物したのに、私よりできてる。なんで!なんて嫉妬もありました。
完璧なものなのてこの世にないのに
勝手な決めつけと、自己満足で終わっていました
この世の中を渡るために必要だと思ったマイルールなのかも
とにかく集団の中で目立つのが嫌いな子どもでした。
特に学校で目立つことと言えば、運動会、学芸会はもちろん、毎日の宿題や持ち物。最初は学校で忘れ物をすると評価にマイナスがつきます。
体育は一人だけ参加できずに見学があったと思います。とにかく、一人だけ(もしくは少数派で)浮いているのがイヤだった
人と同じことを同じように合わせて動かないといけないと思っていました
これができて当たり前なのだと。
厳しくしつけられたわけではありませんが、身近な大人に心配をかけたくない、手のかかる子どもだと思われたくないと思っていたこともあります。
この私の小学生くらいから身に付いた完璧主義に
高校生で拍車がかかりました。
厳しい部活に入り遅刻は絶対ありえない
団体行動だったので一人遅れると部員全員を待たせてしまいます
頼まれたことは【義務】です
先生や先輩にこれやってと言われたら、反論せず素早くやる
遅いと怒られる。効率や順序を良くできないのかと言われる。
タイミングによっては部員全員の前で謝るなどありました。
上司と部下みたいですね。先生は将来社会の中で働くことの厳しさを教えてくれたと思いますが、私には合っていませんでした
とにかく
毎日当てられないか、一人浮いていないか
次にやることは素早くできるか
人と同じように同じペースでできているか
など、
部員の中で浮かない部員を目指して終わった高校時代です
その後アルバイトや就職でも、ちょっとのミスで動揺したり、覚えたことができていないと落ち込む日々です
人は失敗するものなのに、それが許せずまた自分の能力のなさに落ち込む。
もっとできない人は周りにもいるのに、何かと理由をつけては自分でダメ人間の烙印を押していました。
今もクセのように考えてしまうときが
カードキャプターさくらのように
「なんとかなる」
と心の中で呪文を唱えています
小さいころに憧れたものは今でも私の力になってくれますね。