「繊細さ」に気づいた前後をふりかえって、今思うこと。
HSPという概念を知らなかった時は、それはもう辛かった。悩みでしかなかった
「いつから、こんなにも人の気持ちに左右されてしまうようになったのか」
「病気なのか、障がいなのか」
「どうすれば逃れられるのか」
そして教員2年目。僕は鬱になった。
鬱の期間のことは鮮明にはおぼえていない。ひたすら寝たこと。顔にみえる天井のシミを数えていたこと。道路をはしる車の音。たまに自転車で海辺をはしったこと。磯の匂い。そんな記憶の断片のようなものであれば、思い出せる。
そんな時にふと自分について考えてみようと思って、ノートに自分を書きだした。A4用紙4枚分くらい書いた気がする。
自然と傾向が見えてきたので、スマホで
「忘れ物 人の気持ちが分かる 鬱」
というワードで検索をかけてみたら、思いのほか簡単にHSPという概念に辿りついた。
そこからは早かったなあ。
HSP関連の本を読みあさっては「僕について書いてるやん」と毎回驚いたものだ。
そして、本に書いてあることを一つひとつ実践していき、心が、身体が軽くなっていった。頭の上に渦巻いていたドス黒い積乱雲も、時折、姿を消すようになった。
今ではインスタやラインで、HSPさんの相談にのらせてもらえるようにもなりました。
鬱になってよかったな、と。
HSP気質でよかったな、と。
今はひたすらに、そう思う。悩んだ分だけ寄り添えるし、気持ちを理解できる気がする。もちろん100%は理解してあげられないけど、よりそこに近い値までは理解できる。そして、共感できて言語化できる。
悩みを言葉にできるのと、そうでないのとでは雲泥の差がある。言葉にさえできれば頭の上にある積乱雲は動きを止め、しだいに消えていく。
これを知ってほしい。
このクオリア体験をすると、HSPについての理解がぐっと深くなる。堂々めぐりの悩みにも悩まされにくくなっていく。
繊細である、と気づけるだけで世界が大きく開けていくこの感覚を、悩める多くの人と共有したいなと切に思う。
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