長所と向き合う。
人間、短所にはよく向き合うのに、長所に向き合えないのはなぜだろうか。
かくいうぼくも、社会人3年目までは長所ではなく短所ばかりを気にしながら【仕事→プライベート】の繰り返しを過ごしていた。そしてこの3年目に、自分を見つめ直す強制的な機会に恵まれた。それがうつ病だ。
うつ病は、トータルとしてなにもマイナスだけをもたらすわけではない。しっかり休みをとり、自分に合ったペースで自分に向き合えば、その後のメンタルはより強く柔軟なものに生まれ変わらせることができるとぼくは思う。
ドラゴンボールのサイヤ人のように死に近いキズを負うことで、よりたくましくなって復活する。
とまぁ、口で言うとさも美談のように言えてしまうのだが、鬱の過程はかなりキツイものがあった。しかし、やはりいい機会でもあった。
徹底的にマイナスに向かうことで底にもたどり着き、そこからは、少しずつ自分の長所に強制的なフォーカスがかかった。
できることしか出来なくなるから、それが逆に潔がよいのだ。
ぼくでいえば鬱から半年はほとんど寝て食っての生活だったが、その後くらいから運動とボランティアで、ごみ拾いをはじめた。
毎日、地域のゴミ拾いを行い、少しだけ湧き始めた社会貢献欲をちびちびと満たしていった。
毎日毎日、飽きもせずごみ拾いを続けられたのは、ぼくの長所だなと思い「これと決めたことをやり抜く力」は、これ以降、ぼくの長所としてぼくの中にしっかりと刻印された。
読書も同じような理由で長所になった。そして副次的に「ひとりで何事も楽める」と「淡々と自分に向き合う」という2つの長所も長所として認識できるようにもなった。
この3つを自分の長所として認識し、確立できたのは本当にラッキーだったと思うし、偶然でもあり必然でもあったなと思う。
そしてなんだかんだあって、あれから3年が過ぎで今に至るが、メンタルを崩すことなく、再発もなく無事に社会人として復帰しているぼくがいて、「長所に救われてるな」と日々感じている。
短所に目がいきがちになったときは、短所の極北を見て欲しい。つまり反対方向だ。落ち着きがないという短所なら、その真反対は「行動力がある」だ。
なにごとも自分の見方次第でどうとでもとれるようになる。ここで大事なのは、それを受け止めるか否かの問題だ。それは自分にしかできないし、受け止められなければ長所にはなり得ない。
結局は自分次第なのだ。
受け止めるだけ。これが難しい。でも少しずつでもいいから練習してほしい。
これは才能じゃない。技術の問題なのだから。