塾のおねえさま
私は通算で3年程度、中高受験の進学塾に勤めていました。
講師ではなくて、いわゆる「受付のおねえさん」。
(20代だったからね!おねえさんだよ!!)
「進学塾」という存在に対しては、
私の文章力では表現しきれない、様々な思いがある。
でも、「受付のおねえさん」という職業に対しての思いは一貫していて、
学校で言うところの
「保健室の先生」
みたいな存在でありたいなと思いながら、
いつも全力で子どもたちにぶつかってました。
「受付事務」という職種の会社員としては、
かなり出る杭で、正社員講師からは随分苦い顔をされてました。
(時間講師の先生たちは随分可愛がってくれたけど)
でも子ども達は慕ってくれたし、
(なぜか私だけは「おねえさま」と呼ばれていた笑)
親御さんも随分と信頼して下さっていたので、
表立って怒られたりするようなことはあまり無かった気がします。
(気づいてなかっただけ?😅)
9歳~15歳は「小さな大人」でもあり、
「やっぱり子ども」でもある、ちょっと不思議な存在。
特に、当時は受験率もさほど高くなかった12歳は、
小学校の周りのお友達は遊んだり習い事をしている中、
色んなことを我慢しながら受験勉強に取り組んでいる訳で。
小さな心に色んな気持ちを抱えながら受験勉強に取り組んでいるので、
「心のケア」みたいなものが、とても大切だと思っていました。
とは言え私はそういうことのプロではないので、
「親」でも「先生」でもない、第三の存在でいることを
心がけることしかできなかったのですが。
どこのクラスのどんな成績の子でも、
そんなことは私の知ったことではないので、
みんなに同じように接する。
1人ひとりの人間として接する。
子ども扱いはしない。
具体的に言葉にできる事と言ったら、これくらい。
進学塾にとって、子どもは商品です。
成績の良い子は、合格実績を出してくれる。
そうじゃない子も月謝を払ってくれる。
どこでも誰でもそう思っている訳ではないと思いたいけど、
私がいたところの正社員たちはそういう捉え方をしていた。
会社員としては、会社の業績をあげないといけないけど、
「利益第一主義」
みたいなところがどうしても受け入れられなくて、
私は退職したのですが。
20年経った今でも、あの子たちがみんな、
幸せになってたら良いなって未だに思ったりしたり。
「2月の勝者」なんて言うけど、
受験だから希望が叶う子もいれば残念な結果になることもある。
実力だけじゃなくて、運も大きい。
たまたま出題範囲が得意分野とマッチする場合もあるし、
まさかの直前にインフルエンザ罹患もある。
本当に色んな形を見てきました。
正直、微妙なラインだと、偏差値や模試の判定は
あんまり役に立たないことが多い。
「2月の勝者」というドラマは見ていないので主題はわかりませんが、
私は
「合格したから勝者」
ではないと思っています。
(だから塾社員失格)
もちろん、合格できるに超したことはないけど、
不合格だったから敗者ではないんだと、
声を大にして言いたい。
子ども達が私なんかを「おねえさま、おねえさま」と
慕ってくれていたのって、
決して私が人気があったからではなくて。
周りの先生達が、私ほどには子どもたちに
「人間対人間」
として向き合ってなかったからなんじゃないかなって
思っています。
だって一緒に過ごす時間は圧倒的に講師の方が長い訳だし。
かつてのおねえさまは、20年経った今でも、
2月1日はとても心がざわざわします。
どうかみんなが、無事に受験会場にたどり着いて、
落ち着いた気持ちで試験に臨めますように。
いつもの通勤電車に小学生の親子がいたら、
そっと心の中で「がんばれ」とエールを送ってあげてください。
20年前の私?
ハチマキ巻いて、極寒の中、某中学校の前に立って
ひたすら握手して「がんばれ、がんばれ」言ってましたよ・・・
最後は根性論なのかな・・・
まぁ、間違いではないけど。