私のトラウマ 5月11日のニュースを受けて
こんにちは。HISASHINJOです。先日、5/11にとんでもないニュースが入りました。私も正直、考えられません。それと同時に、トラウマを思い出してしまい、ひどく精神を乱しました。大学の授業に行きたくなくなりました。大学の授業は流石に欠席すると課題が出せないので単位を確実に落とすのでなんとか行きましたが、その日は本当にひどい状態でした。今回は、5月11日のニュースと過去のトラウマ、それを受けた私の対処法をお話をします。
5/11に入ってきたニュース
過去のトラウマの話
その日、どのように対処したのか
むすびにかえて
1.その日入ってきたニュース
その日の朝8:30頃でしょうか、あまりにも衝撃的なニュースでした。日本を代表するお笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんが61歳でお亡くなりになられた、というニュースでした。家族が首を◯⚪︎◯状態の上島さんを見つけたというのです。
2.過去のトラウマ 2021年2月27日〜3月5日の頃の私と精神状態
このニュースを聞いた私は去年に抱いたトラウマが蘇って、おかしくなってしましました。ここではその話をします。気分が悪くなった方はこの章を最後まで読まずに退出するか、一番最後に書いてある相談窓口一覧をご覧ください。
2021年2月27日。私はその当時大学受験真っ只中でしたが、ロクな受験生ではありませんでした。過去受けた試験のうち、第2志望以外全滅で、第2志望でも「補欠」という扱いでした。そんな状態だったので、「諦めて駒大へ浪人する」という浪人計画も出ていました。本当は我が家に浪人する金がないらしいので追い出されるのが妥当ですが。
そんな中、衝撃的な事件が起きました。その日、第2志望の大学から補欠通知、補欠繰り上げ合格希望届とその提出セットが送られてきました。その書類一式を確認し、補欠繰り上げ合格希望届にサインをし、買い物に行く両親に郵便局へ届けるようにお願いした瞬間、母の携帯に祖母から電話がかかったのでした。突如母は声を荒げて「えっ!?あんちゃんが!?」と叫びました。
「あんちゃん」とは、母の叔父、つまり私の大叔父のことです。写真店の経営者で、記憶している範囲で言うと、七五三、小学校入学、母方の祖父の古希祝い、小学校卒業及び中学入学、中学卒業及び高校入学と、人生の節目の行事のたびに大叔父の写真店で撮ってもらっていました。
そんな大叔父の名前が出て母親がパニックになったのですが、私はその時は何が起きたのかよくわかりませんでした。そして両親は買い物に出かけ、家で昼飯を済ませると、母はすぐ大叔父や祖母、叔母、従兄弟など母方の親戚が多く住む某市にある実家へ出かけ、夜遅くまで帰ってきませんでした。そして帰ってくるなり、親父が突如パソコンを出して母と写真を探していました。大叔父の写真を探していたようでした。
翌日(2月28日)も母は実家へ行きましたが、今度は朝から晩まで帰ってこなかったのです。
私は不審に思い
「何が起きたんだ」
と母方の従兄弟にLINEをしました。従兄弟からは
「母ちゃん帰ってきたら聞かされると思うからそれ聞いて」
とだけ返されました。そして夜遅くに母が帰宅し
「話がある」
と言われたので勉強をやめて話を聞きました。そして
「あんちゃんが亡くなった。病気とか事故とかじゃない。」
と告げられました。
そして葬儀の日は、第2志望の2回目の受験前日である3月4日と告げられました。
受験前日ということもあって、行かないという選択肢もありましたが、「クリスマスプレゼントのお礼をまだ言っていないのに故人をあの世へ送るのは罰当たり」と考え、連れて行ってもらうように頼み、親はOKしてくれました。
私はその日からおかしくなりました。
ただでさえ自業自得で失敗続きの受験に失敗していて、補欠に引っかかった第2志望1回目と2回目がダメだったら浪人になるので、「浪人する金はうちにないから出ていけ」と言われていたこともあったので絶対に失敗できないプレッシャーがありました。それに加えてこの大叔父ショックが重なった場合、3月5日の受験当日、パニック症状を引き起こしてしまうのではないかと思うようにもなり、二重の恐怖に支配された結果、精神を一時的に病みました。
(この間、一番大好きだったアイドルの芸能界引退のニュースが飛び込んできたので、余計こじらせそうになったが)
そして3月4日の葬儀当日。棺が焼き場に入る前の最期の別れの時、私はこう言いました。
「頼む!!明日受験頑張るから応援してくれ!!頼む!!」
そして遺骨拾いが終わって焼き場のエントランスで待っている時、私は「狂い笑い」をしそうになりました。
「狂い笑い」とは、脳が何かのマイナス感情で溢れてパニック状態を起こすのを防ぐために起きてしまう笑いのことです。
何がおかしかったのかというと「絶対に失敗できない受験前日なのに勉強そっちのけで葬儀に行くこと」でした。
それをある小・中学時代の友人にLINEすると
「入試前日でも俺は葬式出るかな」
と慰めてくれました。ありがとう。
そんな中で3月5日の受験当日を迎えました。朝からパニック症状を起こす恐怖に襲われましたが、無事に何も起きませんでした。
このような出来事があり、私は首◯◯や自◯と聞くとトラウマが蘇ります。
3.その日、どのように対処したのか
私はその日、大学に行くときの乗り鉄で山手線乗車中に上島さんの訃報を知り、気を少しでも落ち着かるために何をしたら良いのかまず考えました。そのためにまず、今日は大学の授業が昼で終わるので、気が済むまで乗り鉄するべきと考え、母に「突然だけど今日と××日(ショックを誰かに相談したくて学生相談室をその日に予約した日です。相談関係は最終章に詳しく書きますので絶対にご覧ください。)の昼飯いらないから」とメールしました。
「👌」
との返事はもちろん来ましたがその直後、
「上島さんのニュース聞いてショック受けた?」
というメッセージが来て驚きました。
「母ちゃん、オレが今日思ったこと全部わかったんだな」と思い、泣いてしまいました。私は我慢ができない性格なのでそれに比例するように感情の起伏も激しいので、仕方ありません。
ということで大学が終わるとすぐに山手線に乗って池袋に向かいました。池袋からは湘南新宿ラインで武蔵小杉へ。
この車内では「何か好きな曲聴いて落ち着こう」と思って、私と同い年の名曲
「世界に一つだけの花」を聴きましたが、サビが流れた瞬間、大粒の涙を流して泣いてしまいました。メンタルがボロボロな時に聞くと心により一層沁みます。
武蔵小杉で降りて、長い廊下を歩いて南武線に乗り換え、立川へ。中央線に乗り換えて八王子へ向かいました。八王子で横浜線の快速に乗り換え、今年の乃木坂46バースデーライブの会場である日産スタジアムを横目に新横浜をスルーして根岸線桜木町へ向かい、後続の大船行きに乗って終点大船へ。夕方だったこともあって、大船から上野東京ラインに乗って家路につきました。
5.むすびにかえて
皆さんに言いたいことがあります。
「日本人は1人で抱え込んでしまう性格であることを知れ」です。
調べてみると、「悩みを相談することは○ぬことよりもハードルが高い」そうです。これはおかしいと思いました。
なので、とにかくまずは「日本人は1人で抱え込む性格であることを知らないといけない」と思います。
そして、相談したいという行動に出るとなったら、会社員の方は自分の会社に、学生・生徒の方は自分の学校に「相談室」があるかどうか確認しましょう。そして使ってください。私は大学1年の頃に「極端な発言をする性格をなんとかしたい」と思ってから通い始めました。
次に、相談室以外の相談方法についていくつか紹介します。1つ目は、電話・メール相談です。私も最初の頃は電話・メール相談を使っていました。
2つ目は都道府県やNPO法人がLINEに設けた相談窓口です。私も過去に何度かお世話になりました。
詳しくは「LINE」の検索機能で探してみてください。
3つ目は「オンラインサロン」です。カウンセラーの中には「オンラインサロン」を開設している方がいらっしゃいます。私は使ったことはないですが、小遣いに余裕ができたら使ってみたいと思っています。
5つ目は新聞に投稿することです。毎日新聞には「人生相談」というコーナーがあり、金〜日曜日に載っています。私も過去5度相談したことがあり、大変ありがたい回答をいただきました。
みなさんも、大変に難しい問題ではありますが、まずは1人で抱え込みにくい環境を作ってみましょう。
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